たとえるならば。

中天の日の光がこぼれる、晴れやかな空気の中で
誰かの旅立ちを見るにつけ、
青空に飛び立つ白い鳥の翼を思う。


翼はまだ、
幼子の生えそろわない白い歯や、
芽吹いて間もない葉のやわらかさ。

朝露にぬれた土と、草木の香り。

誰かのさりげない朝の挨拶。

滴る水滴の一粒の輝き。



握り締められた腕が、引かれていくその先。




離れていくものを惜しむ一方で、
どこかそれは期待に満ちて、
新しい世界が産声をあげる。


我々は従おう。


例えもたらされたものが、
およそ苦痛という言葉で表現するに
余りある現実であっても。

そして、時に風のように、
すべてを忘れ、思い出し、苦悩し、享受しよう。


それらのすべての中に、
まだ見ぬ一歩を踏み出す力がある。


目には見えない力。


だが、確実に存在するもの。











『天に地の足跡、地に鳥の翼』3










真昼の領地の広い中庭をぬけ、簡素ながらセンスのいい
職人の造った馬車は走り出している。
御者が振るう鞭の音が響いた。


馬車の前方には、
勇ましくもたくみに黒馬を操る女の,
短めの黒髪がなびいていた。
彼女の背には、太めの剣がかけてある。
ミルティリアの、とくに一部領地に見られる旅装である。

木漏れ日は、彼女に光の装飾を施している。




隣を走る白馬には,
領地を内密に留守にした領主が
負けず劣らぬ馬捌きで走っている。

同じく背に剣がかけてあった。
どうやら相当使い込んであるのか、
鞘も柄もどこか妙に味のある色をしている。
その割りに、手入れを怠っていない風に、鈍く光っていた。

二人の旅装はそれぞれ、
旅をする男女の基本的な姿だったが、
特に二人ともどこか戦士を思わせる旅装であることは否めない。

それはおそらく、特に白馬に乗った男の雄雄しさのせいだろう。
前方からの風に、麗しい金髪が日の光のように輝いた。



土を蹴り、馬の足は確実に歩をすすめていく。

馬車の中には、本来なら乗るであろう領主の姿は
当然ない。
四人がけで少し余裕のある馬車の中は、
赤いベルベット地のソファーのような、
上質な心地のする席がある。

貴族用に、窓にはカーテンが取り付けてある。
顔を見せないためだろう。
しかし、旅となれば、窓の外にうつろう景色を眺めるのが必然である。
今は窓脇に寄せてあった。


馬車の中には現在、四人の旅人が座っている。


まず、銀髪長身の男。

その前に座る、あでやかな黒髪の美人は、
カーテンのつけられた扉窓をのぞいている。

反対の扉側には、
血色のいい、多少背の低い少女と、
その前に座る絶世の美女がいる。

少女は窓の外を眺め、そしてちら、と
目の前に座る麗人の手元を眺めた。


彼女は、静かに白い糸を指に絡め、
ゆっくりと一定のちいさな動きで、
何かを編んでいく。

いつ完成なのかは不明だが、
まだ始めたばかりらしく、
少女が目を凝らしても、それがどういう状態なのかが
さっぱり見当がつかない。


「んんん・・・。」

と、妙な声を漏らして、
美女の隣に座る固まったまま動かない銀髪、エレンガーラは
まだ緊張が解けないらしい様子を伝えた。


先ほど、館をでる一向へ
かつてない盛大な見送りが行われたために、
何かに心労を覚えたガーラである。

そう。つまり慣れていないのだ。

彼の普通は、さらっと館に訪れたのだから、
さらっと館をでることである。


できれば、もときた裏口から出ていきたかったのだった。


「・・・あんた、まだ緊張してるの?こまったちゃんねえ。」

と、あきれたように、目の前に座るララーは微笑んだ。

そして、おそらく彼の緊張のもうひとつの原因、
隣に座るフェイティシアに視線を向けた。


「キレイねえ・・・。」


と、ララーは再び目を細める。
うつりゆく景色を見るよりも、彼女を眺めているほうが、
どんなにか心安らぐだろう。

しかし、ぶしつけに彼女を眺めることは
おそらく彼女には失礼なのだろうと
ララーは残念がる。

それは、館を出る前の会話で大体わかった。
当然、特にフェイティシアを不快にさせる気もないララーは、
適度に視線をめぐらせることにした。

一応のところ、いつでも見れる場所にはいるわけだから。
そこで、目の前の銀髪お兄さんにも視線を向けてみる。

見たところ、がっちがちに固まっている様子だった。

が、しきりにそれを気づかせまいとしている。
こっちも見ているにつけ、美人な召使いさんとは
違った意味でずいぶん面白い。

「ちょっと前までは、あんまり緊張してなかったじゃない。
えーと?エレンちゃん?」

「女みたいから、そう言わないでくださいまし。」
と、口をぱくぱくさせながら、
エレンガーラは懇願した。

何もフェイティシアに限らず、
この密室に女三人男一人の状態であるということが、
不慣れであり彼の呼吸を乱す要因である。

もう少しフェイティシアからもらったお茶を
飲んでおくべきだったと、彼は悔やんだ。
そうすれば、少しは平常でいられたかもしれない。

一方、

まし?

との返答に、ララーは首を傾げたが、
どうやらまだ言葉が不慣れらしいと気づいた。

彼女の中では、この目の前の長身で体の大きい男は、
人間の男というよりは、何故か犬というか、
子供というか、そういうものに近い存在である。

実のところ、ちょっとあのもさもさのきわめて珍しい銀髪を、
くしゃくしゃなでてみたい。

「まし、はいらないわよ。じゃ、ガーラちゃん?」
ララーは手っ取り早く提案したが、
その名も不服らしく彼は首を横に振った。

「ガーラちゃん、も女の子みたいですよね。」
と、ライジアは首をかしげる。

そこへ、フェイティシアがふと顔をあげ
「エルゼリオさまは、時々エルガとお呼びでした。」
と、綺麗な言葉を奏でた。

フェイティシアを除くすべての人々は、
その声に思わず胸を高鳴らせ、
もう少し声を聞きたいと何か話題を探した。

ライジアは「そういえば・・・」
と切り出してみる。


「どういうルートで行く予定なんですが?その、こん・・・
じゃなくてロイド様が言っておられた領地へ。

やっぱり、山は越えますよね?」

思わず「婚約者」なる言葉をこぼしそうになったライジアは、
あわてて意識をほかへ向けた。

そういえば、ララーさんは知ってるとはいえ、
この銀髪お兄さんは、知っていないのではないか。


フェイティシアが婚約者のもとへ向かっていることを。


ララーは察してか、しかし動じない表情で
さらっと受け答えする。

「うん、そうよねえ〜。
たぶん、エルゼリオ領の隣の領地と、
ぎりぎりの境を行くのが近いんじゃない?

それか、隣の領に入っちゃうのかしら??
隣・・・隣領って・・・・なに?なに貴族??ねえフェイちゃん。」

フェイティシアは、レースを編む手の動きを止めると、
「隣・・・。たしか
メルビル子爵の領地です。
この前エルゼリオさまが向かわれました。」


「あっ、この前の出張の!」

と、ライジアがぽんと手をたたく。

「メルビル領境界っていったら、
『境界市場』が有名じゃない?

ほら、確かえー、なんだっけ??あれ。
巡礼・・・。」

何かを必死で思い出そうとしているララーへ

「フィオナ山脈の聖地、エルフ・レ・フェウスへの巡礼道!!」

と、ライジアが答える。



「ああ〜っ、それそれ。
確か、昔アルデリアとディム・レイの戦争のとき、
ミルティリアがさ、兵士募って二つの国へ
送り込んだっていう、あの『戦場への道』のことよね。」



「あ〜、あたし、小さいころ聞いたことありました。

あの道を通れば願い事が叶うって。

道の先には、昔には天国みたいな聖地があって、
今は地上を見放したから聖地はないけど、
でも今でも奇跡の技が残ってて、
山岳民や聖人がいっぱい潜んでて・・・・。

わたし、いろいろ夢想してお祈りしたんだあ。
行けないけど、遠くからでも願ってみれば叶えてくれるって。

だから、私まずその道を通れるように、お祈りしたんです。
なんと!
それが今日叶っちゃうんでしょうか!!?」


思わずテンションが上がるライジアを、
あははと楽しそうに笑ったララーが「ライちゃんどうどう」と、いさめる。

「願いごとをすれば叶う!!なんとおもしろい。」

緊張を解いて、エレンガーラが思わず立ち上がりそうになり、
「頭打つから、頭」とララーが腕を引っ張る。

フェイティシアもその様子にくすくす笑い、
窓の外へ視線を向けながら

「戦がない今では、もう使われないはずの道だったそうです。
でも、その後、多くの兵士があの場所を通って踏み固められて、
それから戦にも勝ったでしょう。

沢山の家族があの道に負傷兵や凱旋した兵士を
迎えたそうなんです。

期待に満ちて帰りをまった家族の笑顔が、
あの道を祈りの道に変えたんでしょうね。」

振り向いて、
微笑んだ彼女の表情がすばらしく輝いていて、
三人は再び甘いため息をついた。

「じゃあ、あたしはいい男捕まえられるように
お祈りしようかなあ〜☆」

ララーはぱちんとウインクを目の前のエレンガーラにしてみせる。
ガーラはガーラで、そのウインクにびくっと体を震わせた。

「あっ、じゃあ私は馬に乗れるようにお祈りしよっと。」
と、意気込むライジア。

「フェイティシアさまは?」

と振ったライジアは、
少しだけ曇った表情のフェイティシアが、
それでも何かを決意したように微笑んだのを見た。

「私は、無事に帰れることを、お祈りします。」

その返答に
フェイティシアとこの旅の目的を考え、
思わず首をかしげお互い見詰め合った
ララーとライジアであった。









馬車が止められた小さな村の端は、
ちょうどメルビル領とエルゼリオ領の境にある。


本来なら、もう少し先の巡礼村
(そう名づけられたのは、巡礼を始める村とされていることと、
豊富かつ清涼な水が得られる『奇跡の井戸』があるからだ。)
に泊まってもよかった。

しかし、領地を出た馬車が目立つこと。

目立つことにより本来の目的が阻害される可能性を考え、
エルゼリオが選んだ村だった。

また、このあたりがミルティリア王都へ向かう分岐箇所のひとつだからでもある。


領地から馬車の手綱を握っていた御者は、
ロイドが選んだ山岳民であった。

馬から下りたエルゼリオは、
山岳民に礼を言うと、

「もうすぐ子爵の使いがくる。
彼にその後の旅案内をしてもらう。
馬車が着たら、荷物を入れ替え先に領地へ帰るように。」

と命じた。
心なしか楽しそうに見える彼は、
的確な指示をしつつも、
どこか子供っぽい表情でいっぱいである。

「あらら、さびれた場所。」

と、馬車から降りてうんと背伸びをしたララーが
周りを見渡す。


村の明かりは遠めに見えるほど小さく、
黄色い星のようだ。
青く染まる空気は少し冷たく、そろそろこの場所も
夜空の一部に溶けるかもしれなかった。

「んー誰もいませんね。」

と、ライジアがきょろきょろすると

「ここはめったに人が通らない境なの。
ここを通るって選んだことは
ま、どう考えたって、あの男の仕事が関係してるんでしょ。」

と、もはや領主様とは呼ばないナイルが
息を吐いた。
腰にかけてある剣を抜いて、再びばちんと鞘に入れる。

普段は召使い用の服を着こなしているナイルが、
女戦士に変貌した姿を今朝出発前に見たとき、
ライジアは思わずぞーっとしたのだった。

凛々しいいでたちは、
領地に残る召使いたちにもため息ものだったが、
洒落にならない勇ましさがにじむ。


到底勝てそうにない。



今は、かろうじて冷や汗が出るくらいだが、
ナイルのその癖をはじめて見たライジアは、やはり怯えた。


く、串刺しにされたりして・・・。
でも、
・・・フェイティシアさまは、見慣れておられるみたい。


と、動じないフェイティシアの様子を見て、
これから旅なんだ、と何かを決心し
見習おうとおもうライジアである。

手に持っていた糸と編みかけのレースを
手持ちのバックにしまい、
フェイティシアは、そっと馬車から降り立った。

すぐに、靴のそこから固い土の冷たさが染みてきた。
もう薄暗くなって、馬車の四隅についたランプを着けねばならないかと、
フェイティシアは思う。

「そろそろ、ランプをつけましょうか?」

「ええ。」

気の利く御者の声に、フェイティシアは頷いた。

そこへエルゼリオが足早にやってきて、
「ごめんフェイティシア。しばらく待って。」
と弁解しする。

彼の久々に浮き浮きした、どこか子供っぽさを見て取り、
フェイティシアに甘い笑みが広がった。

それを舐めるように見つめ、
エルゼリオは「すぐ済む。」
と念を押す。

その言葉に、
フェイティシアははっと気づくと、表情を曇らせて
それでも彼に心配をかけまいと
笑みを見せた。



こういうときに・・・。



こういうときに、館であれば
エルゼリオはいやでも彼女を抱きしめて、放さない。

夜の空気と同じ速さで、いや
それよりももっと速く、彼女の心が凍り付いてしまうまえに、
彼は彼女の胸に手をあて、
体ごと暖めたかった。

その甘いやわらかさの唇を味わう前に、
自分の息で彼女をあたためてもいい。

どのような方法をとっても、それが今彼女にしてやらねばならないことだと、
彼は強く願った。

だが、おそらく人前でそれをされることを、
彼女が拒絶するであろうことも、
予想できる。


今できるかぎりのこと・・・。


エルゼリオは彼の欲求に、
譲歩に譲歩を重ね、
おもむろに彼女の右手をつかむと、
引き寄せて彼女の手首に口付けた。

あまりにもすばやい行動だったためか、
目撃者はナイルとライジアだけだったが、
二人は声を上げず、さらにライジアは目をむいたが
ナイルはそれを見過ごしたように顔を背けただけだった。



あれ?

とライジアはいぶかしむ。

いつもならナイルがばーっと走っていき、
フェイティシアを抱きかかえてもその場から連れ去るのだろうに。


そして再び麗人たちの様子を眺めると、
フェイティシアの右手首をエルゼリオが左手でそっと握り、
それを見つめてすこし悲しそうに微笑むフェイティシアに、
エルゼリオがやさしく微笑みかけている様子が伺えた。

が、
メルビル領側の道から来た馬車の音に反応したエルゼリオは、
フェイティシアの手首から手を放す。

フェイティシアはその後ろ姿を見送って、
右手首に左手でやさしく触れた。




それからしばらくして、
別の方角から黄色いランプのあかりが近づいてきた。

おそらく、エルゼリオが待っていた馬車だ。

どこか簡素な乗り合い馬車は到着すると、
颯爽と降り立った黒髪の男にエルゼリオは話しかけた。


「ん?あたらしい仲間かな?」

と、珍しく普通に話しかけたエレンガーラが
にこにこしてライジアをつつく。
なにやら酷く楽しげだ。

「ん〜、どうやらそうみたいです。
あ、領主様よりも背がちょっぴり高いですね。

ん?でもなんだか雰囲気がロイドさんに似てる気が・・・
あんな若いのに。おじいさんみたい。」

「あら、いい男☆
どうしようライちゃん。あたし、もう願いがかなっちゃった!」

エレンガーラもララーも、どこか妙にはしゃいでいる。
そこへナイルが例の「ばちん」癖(ライジア心の中で命名)をし、
三人をぞぞ〜っとさせた。






「おい、荷物運ぶの手伝ってくれ。」


降りた際の第一声がそれだったので、
フォーンデルは面食らった。

しかも荷物である。

てっきり二人旅だと思っていた彼は、
目の前の金髪がにこにこ微笑んで楽しそうなのに
思わず閉口した。

そしてさらに、見渡せばその数七名という
大所帯なのに驚いた。

おそらく馬車のランプをともしているのは
御者だから、旅の数には入らないだろう。

だが、まず女が四人、男二人だ。

一人はこの金髪領主で、
もう一人は珍しい銀髪長身。
(しかも丸腰)

さらに、女二人は丸腰で・・・・珍しい女戦士一人。

しかも


「・・・あの方は誰だ?」


と、思わずフォーンデルは片手で顔を覆った。

手の隙間から、視線を向ける。

御者のそばで、ランプの光に照らされている女性の、
奇妙なまでの暖かさと神々しさは、
一体なんなのだろう。

その造詣はあまりに超越して、彼の瞳に焼きついた。
エルゼリオはにやにやして、ご一行の紹介をした。

「俺の召使いと友人。そして俺の妻。」

「は?妻??」

フォーンデルは思わずのけぞり、
その様子を遠眼に見たララーとライジア、エレンガーラは
再び情報交換をし始める。


「あっ、今のけぞりましたよ。
ちょっと、おもしろい人なのかも。」

「かっこいいお兄さん、なんか変なことしゃべったみたいねえ。
しかも相当ショックうけてるような?
あ、ほら。また顔手で覆った。
どういうことかしら。」

「うーん、彼は戦士だなあ。
あの鍛え抜かれた骨格と無駄のない筋肉の造詣は、
まさにエルゼリオ君と同様のものだ。」

「ちょっとエルガちゃん、あっちの言葉でしゃべんないで!
わかんないじゃない。」

「ああ、え〜、あの男の人、とてもかっこいい形。
エルゼリオと同じ戦う体。」

「ああ、戦士って言いたいんですね。つまり強そうに見えるって。」

「そうでございます。」

「あら、あの男弓を持ってる。
随分大きいのね。あれが噂のメルビル家の大弓なのかしら。
技の継承は血縁者のみって言われてたと思ったけど、
あの男、血縁なのかしら。貴族?」

「ナイルちゃんって物知りねえ。
貴族!ますます気に入ったわ。素敵!!」



何かを口々に囀る集団に、頭を痛めたフォーンデルは
エルゼリオをさも奇怪な動物であるかのように凝視する。

「妻とは、聞いていない。しかもこの旅に同行させるとは・・・。
どういうことだ。
一応あいさつはするが・・・お前の妻とはあの中で・・・」

すると、エルゼリオがいたずらっぽい微笑を見せ

「あのランプに照らされているのが、俺の妻。」

と、フォーンデルを再び絶句させる一言を言って見せた。



「・・・見間違いではなかったのか・・・」

と、彼がぼやく。
再び顔を手で覆い、盛大なため息をついた。

もし、あのランプに照らされている何か、神の領域ともいうべき存在が
自分の緊張や疲労、神の使いか何かの見間違いであれば、と
彼は思っていたのだ。



なおかつ妻・・・。



エルゼリオは、どこか力が抜けた状態の男の旅仲間の前へ案内した。

「こちらは、メルビル子爵執事のフォーンデル。
フォーンデル、こちらは俺の客人のエレンガーラ、ララー、召使いのナイル、ライジア。
そして俺の妻のフェイティシア。」

「ななな、なにい〜!!」

フェイティシアを除く、ほか四名の絶叫が響く。

大合唱の悲鳴に、思わずきょとんとするフェイティシアと、
それでもいたずらっぽい微笑をたやさないエルゼリオ、
そしてどこかほっとしたらしい、フォーンデルの姿があった。


一呼吸おいたあとで、
顔を真っ赤に染めたフェイティシアが、

「あっ、あ、あの、あの・・・いったい何が・・・・
なにが、どういうことなのですか?
エルゼリオ様。」

と、慌てはじめた。

その様子は、酷く憐れを誘う一方、
何か大変可愛らしく、
「そうだそうだ、説明しろ」の大合唱のそばで、
エルゼリオは彼女をかまわず抱きしめたい気分にかられる。

フェイティシアのそばへ向かうと、
彼女の頬を慣れた手つきでさわったエルゼリオは、
耳打ちするようにフェイティシアの耳へ唇を近づけた。

「フェイティシア、事情はあとで説明するって言ったけど、
ちょっと込み入った事情があって。
この旅の間は、そういうことにしておいてくれないかな?」

そういって、彼の吐息で耳がくすぐられたために、
潤んだフェイティシアの瞳を見つめ、
「ね?いいよね。」
と子供のように念を押した。


その間、大合唱は
「違う違う、フェイティシアさまは召使いなんです。」
とか、
「あの男に彼女が妻なんておこがましいにもほどがあるわ。」
とか、
「あっ、いっちゃった!告白?ねえ告白なの?結婚なの?」
とか、
「エルゼリオ君早まるな!むりむり。無理を言うな無理無理無理!!」
などといったこととなり、
フォーンデルは盛大なため息をついて、
事情を察した。


どうやら、フェイティシアという名前の女神の化身たる美女は、
エルゼリオの召使いでありながら、
その寵愛を受けている。
しかしながら、周囲はそれをよしとしない。
今のところ、「妻」とは、かの金髪貴族の例によって獣じみた?
独断と偏見により決行された旅行における創作された関係?らしい・・・・。


「・・・お前は・・・。」


フォーンデルの盛大なため息に、
横からナイルが

「待ちなさい!せいぜい譲歩して『姉弟』よ!!」

とわけのわからない妥協を宣言し、
再び目を白黒させたフェイティシアは

「あの、それはいったい・・・。」

としどろもどろでいる。

エルゼリオはナイルと視線をぶつけ合い、
どちらも譲らず、といった例の空中戦が始まった。


ライジアは今朝の一件を再び思い出し、
猫の提案により、絶世の美女人魚は実は、
魚屋のおじさんと血縁関係だったとそそのかされ、
しかしおじさんはそんなのは嘘だ。と人魚を海に放さず、
結婚したいとのたまう状態なのだと夢想した。



どのみち、ぞぞーっと寒気がする視線のぶつかりあいである。



その果てしない視線のぶつかり合いのそばで、
フェイティシアは顔を赤くしながら、
呼吸を整えると
新たな旅の仲間の姿をとらえた。


・・・本当は、この方と旅されるはずだったのかしら・・・


黒髪の、肩まで長いそれは、どこか見知ったような体格で、
フェイティシアは彼が戦士であることを見抜いた。

おそらく、書類で済まされるような視察めいた旅ではなく、
もっと実戦を交えた旅として、
彼が選ばれたのではないか?と
想像すらした。


そして、その旅に自分の旅が関わってよかったのか、
と危惧する。

もし邪魔になるようであれば、
領主の身を守るため、命も賭さねばならないかもしれない。


フェイティシアの心にさまざまな憶測の痛みがよぎったが、
痛みは彼女を動かし、
フォーンデルのそばまで駆け寄った。


「エルゼリオ領の召使い、フェイティシアと申します。
今回は、領主様のご好意でお仕事の途中にもかかわらず、
アルデリアまでお送りいただけるとのこと。

お名前お伺いしておりませんが、
御任務の妨げにはならないように致します。
どうぞよろしくお願いいたします。」

と丁重な挨拶をした。



目の前に突如駆け寄ってきたその『神』的な女性は、
フォーンデルのそばで
軽やかに流れる髪を揺らして、
豊かな肢体と、さりげない品のにじみ出た旅装、
一度見たら忘れられない顔、
表情、笑顔、香りを
強烈に印象づけ、彼の息を止めた。


いったいどういう存在なのだ。この女性は・・・。


フォーンデルの脳内を、何かが駆け巡る。
それは、
古い時代の何か、麗しい思い出に繋がる何かだったが、
彼はそれを思い出せない。


思わずつばを飲むと、
特に意識もせず片ひざを折っていた。

「私は、私はメルビル領子爵執事のフォーンデル。
今回の任務を子爵より受け、貴女の御領主とともに
遂行するため、旅を仰せつかりました。

貴女の御領主のご意向であれば、
私は従う所存。
旅の最中危険があれば、お守りいたします。」

そして、左腰にかけた剣をとり、鞘の先を地面につくと
一礼するよう、うなだれる。

それは、おそらくメルビル領での、あるいはどこかの
正統な爵位保持者かその血族への儀式的な挨拶であり、
その様子を目撃した一行、さらにエルゼリオとナイルは
意図しないフォーンデルの行動に、
思わず面食らったのだった。



目の前で跪かれたフェイティシアは、
一瞬、
瞳の奥にちらつく白い光景を
目の前の光景と重ねた。




白い光の中で、男は、
彼女の前で同じように跪いていた。


うな垂れた頭からは、顔が見えない。
白い、白い空間に、白い衣を身にまとった男は、
おそらく戦士だった。


ただ、現実と違うのは
男が銀髪だったことだ。










「いけない!!フェイティシア!」








ナイルの悲鳴に近い声が響き、
頭をあげたフォーンデルの目の前で、
意識が遠のきそうになるフェイティシアの体が傾いた。


だが、誰よりも先に彼女を支えたのは、
他ならぬエルゼリオだった。



かろうじて、彼の腕の中でフェイティシアは意識を保つ。

眉間にしわを寄せて、
彼女を見つめるエルゼリオの手は、
しっかりと彼女の右手首を握っていた。
















「まさかねえ・・・なんていうの?」


新しい馬車へ乗り換えたララーは、
前の馬車の座席の、座り心地を名残惜しみつつ、
体をゆらしながらぼうっとつぶやいていた。


「・・・なんか、すごかったですね。」

と、彼女の隣でライジアはうーんとうなる。
すでにライジアの前の席で、うつらうつらと
眠りに誘われているエレンガーラをちらっと見つめた。

彼は先ほどの一件で、倒れかけたフェイティシアの次に、
パニックになりそうなほど同様したらしかった。

思わずライジアと一緒に涙目になり、
どうしようどうしようを、呪文のように繰り返し、
冷静な対処をしているナイルに、怪訝な顔をされたりした。



「ほら、エルガさんはフェイティシアさまをみて
倒れたじゃないですか。

でも、なんていうか、フォーンデル、さん?は
あれですね、
別な意味で凄かったです。
うん。なかなかいないです。
フェイティシアさまを倒れさせるって・・・・・。」

ライジアの疑問は、小さな脳内で嵐の雲のように渦巻く。

「でも、あれは執事お兄さんのせいじゃないわよ。

わかんないけど、フェイちゃんちょっと体弱いんじゃないの?
ああいうことって、なかったのかしら今まで。」

「あっ。この前の風邪のときもありました。
でも、なんかさっきナイルさまが
物凄い勢いで気付け薬を飲ませて、
これは精神的なものだとかなんとかって、
おっしゃられてたような・・・。

何か、事情をご存知なのでしょうか・・・。」

「ふむ。ま、もうすぐ今日の寝床にありつけそうよ。
馬車が止まったわ。」



御者をフォーンデルとした一行の目の前で、二頭の馬が止まった。

ナイルは馬から下り、
もう一頭の上では、
フェイティシアを抱えたエルゼリオが、
まだ眉間にしわを寄せている。


目の前には、簡素な宿泊館があった。
だが、どこかがっしりとした木造で、
大きな木をたっぷり使っている。
一室二人で、
五十人は泊まれるのではないだろうか。


ここは、境界からメルビル領へ入ると1オル(km)の所にある、
小さな村だった。


境界巡礼道脇には、
多くの宿泊村が点在しているが、
どこもそれぞれの特色を有している。

貴族用もあり、領主用、商人用、交易用、
大きな村にはすべてが整っていることもあれば、
小さい場合は一つに絞られたりもする。


「ここは、メルビル子爵も寄られたことがある。」


と馬車から降りてフォーンデルは、
大またで歩を進めると
宿泊館へと足を踏み入れた。


「つ、つかれた・・・。」

と、ぐっすり眠っていたエレンガーラは目が覚めたとたんのたまう。

「ちょっと、エルガちゃんしっかり!
あなた眠ってたでしょ?ほらほら歩く歩く。」

声をかけるララーもどこか疲労した表情だ。

ライジアはフェイティシアのそばへ駆け寄り、
無事にフェイティシアが立っているのを見届け、

「ふぇ、フェイティシアさま・・。」

と、小さく声をかけた。



エルゼリオのそばで、彼女はゆっくりライジアに微笑む。

「本当に、大丈夫です。少し、くらっとしただけ。」

それを聞いて、素直にライジアは瞳を潤ませる。
フェイティシアの手を握って、鼻をすすった。

「休みましょ。フェイティシアさま。
ゆっくりいけばいいじゃないですか。」

「先を急がせるなら、エルゼリオ様とはここでお別れしてもいいわよ。」

と、ナイルが横で馬を馬小屋に入れながら
フェイティシアにふった。

フェイティシアは「いいえ。本当に大丈夫です。」
と、何度目になるかわからない返答をする。

隣で、エルゼリオが無言のままフェイティシアを見つめた。



まだ眉間にしわがよっている。
フェイティシアは思わずくすくす笑った。



「何かおかしい?」


と、エルゼリオが少し困った表情で問いかける。
フェイティシアは、「ええ。」とつぶやき、
それでも答えを教えはしなかった。


鼻をすんすん言わせながら、手を引いていくライジアに、
フェイティシアは誘導される。
エルゼリオ、ナイルもそのあとにつづいた。




宿泊館へ入ると、暖かい光に照らされ、
美味しげな香りが漂っていた。
おそらく、肉を焼いたのだ。

宿の中はすべて木造で、
石を使うことの多いエルゼリオ領とは
どこか違う間取りだった。

フォーンデルが、先を切って話をつけ、
一向はすんなりと広い一室に通される。

木製ドアを押すと、
二十人は横にならせても収容できそうな、部屋に入った。
暖炉もあり、その場で調理もできる。
その場は吹き抜けになっており、
寝台は一階に三つ、二階部分に四つ見えた。

床は、ざっくりとした大きな石が丁寧に敷き詰められていて、
窓際の階段を上ると、二階は一つ一つの寝台ごとに、
壁が区切られている。
それぞれ一室ごとに分けられ、
おそらく横に添えてあるカーテンをひいて、
吹き抜けからの視線をさえぎる仕組みだ。


「浴場はドアを出て左へ直進するとある。
湖が近いからな。
水は豊富な場所だ。」

「お風呂!わたし、お風呂見に行きます!!」
と、ライジアに
「わたしもわたしも!」
と、ララー。

ついで、ララーに引きずられるように手を引かれるエレンガーラは、
フェイティシアと視線が合い、
思わずカチカチの笑顔で、
手を振って見せたりした。



フォーンデルは暖炉のそばに立つと、
興味深げにナイルとエルゼリオの様子を眺めている。



彼らは、フェイティシアをそばにあるソファーに
座らせることを、暗黙の了解で決定しているようだ。

食事が運ばれてきたのを見計らい、
フォーンデルが水差しを受け取ると、
フェイティシアの前にコップに入れて差し出した。


「申し訳ない、ご婦人。」


館の使用人たちが、
驚いたような表情で、ちらちらとフェイティシアを見ていることに、
フォーンデルは気づいていた。

ご婦人、と言ったのは
エルゼリオの例の「妻」発言の余韻のようなものだ。

だが、おそらくそれは正しい判断なのではないか?
と、フォーンデルは推測する。


彼女のような輝く存在が、
こういった場所に訪れた際、どこの誰が突然の求婚をしないとも限らず、
あるいは襲われるか、さらわれるか、
最悪の場合、殺されるのかもしれない。




それだけ、彼女は目立った存在だ。




いや、彼女に限らず、この一行のなんと華やかなことだろう。

どの存在をとっても、
目を引かないものはなさそうな、
奇妙な集団。


その中で、至高の宝石のような彼女を守る口実として、
それなりの位置づけが必要なのは事実だ。


貴族。皇女。
そんな称号ですら可能な高貴さ。


しかし、目の前に座るフェイティシアは
「いいえ。フォーンデルさまは、先ほどのこととは、
あまり関わりの無いこと。
私の体調が少し悪いのです。
日ごろの管理を怠っていることが、目に見えて表れたのです。」

と、水を口に含んでから、
微笑んだ。

花がほころぶような笑みであったために、
フォーンデルは絶句したが、
それを見かねたように
フェイティシアの横から、エルゼリオがふいに彼女のコップを奪い取ると、
中の水を飲み干した。

どうやら、彼女の飲んだという点において、
この水は彼の興味にあったらしい。


見せつけられたようで、フォーンデルはこの
いたずらっぽい子供のような表情の男に、
目を細めた。


一方その様子を見て
はっ、と目を細めながら投げ捨てるため息をつくも、
ナイルは使用人を横目で見張っている。

そのことにフォーンデルは気づいている。

おそらく、フォーンデルと同じような理由で、フェイティシアという存在を
守ろうとしているのか、
あるいは領主を守ろうとしているのか・・・。

なんにせよ、
空恐ろしい、やり手であろう女戦士であることも。




コップを手元に返され、
頬を赤く染めて、見つめたフェイティシアに、
エルゼリオは子供っぽい、いたずらな笑みを浮かべてみせる。

フェイティシアの手をとり、
食事の並べられた机のそばの椅子へ座らせようとした。

彼の誘導は、どことなく強制的であったが、
彼女は以外にも、さらりとそれをかわしてみせたようにも
見えた。



「いいえ。」と、手で制し、
フェイティシアが椅子をひくと、
領主たるエルゼリオに、召使いとしての役目をはたす。



傍目には、麗しい恋人同士というよりは、
親兄弟を気遣う女性にも見えていた。
しかし、二人の間に漂う、
どこか甘い空気は変わらない。



が、気になる二人の関係を横目で盗み見つつ、
豪華に食事を並べ、興味津々のまま使用人たちは部屋を出て行く。

「いいとこだったのに」と
声が聞こえてきそうな表情の使用人もちらほらいる。

入れ替わりに、風呂鑑賞をしてきた一行が、
さまざまな評をしつつ戻ってきた。



食事に大歓声が上がる。



「きゃー☆お兄さん太っ腹!!こんなに豪華な食事!!」
と、ララーは早速椅子に座る。
そこへ、特に気にもかけず、エレンガーラがのほほんと食卓につき、
フォーンデル、そしてナイルですら、普通に食卓の席についた。




あれ、あれあれ?




仮にも召使い末端のライジアは
少し戸惑いながら、流れに任せるべきか
それともどうすべきか少し迷った。



め、召使いとして何かしなきゃ・・・。




そこへ、エルゼリオがまだ脇に立っていたフェイティシアを見つめながら、
無言でゆっくりと手を引き、隣の席へ強引に座らせる。

二人の間の視線には、言い知れぬ会話があった。


少し困った微笑みで、フェイティシアは
ライジアに視線をむけると、

「ライジア。」

とだけ、やさしく投げかけた。


思わず、安心して涙がでそうになったライジアは、
「はい。」と返事をして
席に着く。



・・・こんなにいろんな人がいて、
しかもみんな
身分が違うのに・・・
一緒の食卓を囲むなんて。



ライジアはどこかおちつかないが、ララーと視線があうと
ウインクを返され、いつのまにか考えることを忘れた。



目の前には、食べ過ぎても残りそうなくらいの食事が積んである。

食前の祈りも早々に、一向は今日の旅へ、
それぞれねぎらいの言葉を交わしながら
その日の夕食にありついた。




食卓を囲む声は、日の光に似て、どこまでも暖かい。






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