「境界を歩むもの」







白髪の男の名前は、エレンガーラといった。

普段はぼけーとしており、
子供に戻ったように語尾を間延びさせる。
態度もやたら奇怪である。

三十代後半と思っていた年齢は、
なんと二十代前半らしかった。

いや、そうでありたいという願望らしかった。
実際は不明らしい。

ないものねだりをするのが、大好きである。


女みたいな名前だ、とエルゼリオが言うと、

「よせ。気にしてるんだ。」

と、突然大人の男口調で、凡人みたいなことを言う。
こんなに変人なのになあ…とエルゼリオが言うと、


「お前に言われたくない!!」

と真剣に否定された。
実際彼にしてみれば、
本来死んでもおかしくなかったはずの人間、
エルゼリオこそ、変人以外の何者でもないそうだ。


エレンガーラの勤めは、
ディム・レイとサザランドの間にある国境、
といっても国境など無いに等しいが、
境となっている巨大な山脈の裾野にある、
一つの砦を管理することだった。


この砦に行くまでには、独自のルートを通らねばならない。


その道は険しく、サザランドの民も寄ってこない場所だ。


実際、酷く歪んでごつごつとした地形である。
岩の突起が激しい。
木はたまに生えている程度である。

アドレ伯爵領の館の北西一キロにある巨大闘技場から、
さらに北西へ進み、最終的には一本の曲がりくねった道となる。
寂しい風景に加え、雪が舞い散りだす。
そして、ふかぶかとつもりだしたころ、
砦にたどり着く。


馬車が、定期的に訪れる砦。
その馬車には、死体が積んである。


「俺はその死体、まあ、
時々半分生きているわけなんだけど、
ともかくその死体を調べたり、
繋いだり、治したりしてるってわけだ。」


「なんでそんなことをするんだ。」

とのエルゼリオの問いに、「ははーん」といってこの白髪の男は、
あごを指で撫でて、ひげのそり具合を確かめた。


「そりゃあ、決まってる。興味があるからだ。」


後々、彼は自分が記憶喪失なんだと語った。
気がついたらこの砦にいたようだった。
記憶喪失になったため、
周りがよくわからなかったらしい。
人間という存在も、よくわからなかった。



しかし、興味津々だった。



そのために、「自分は何なのか」を調べようとした。
元は、この砦にいた医者と仲良くなり、
その医者を手伝っていたのだという。

しかし、その医者が何かの容疑だかで、
アドレの領へ連れて行かれてから、
彼はその医者に代わって、
砦で妙な医師の真似をしてきたのだった。


その腕たるや、天才的だとアドレから言われたと、
彼はアドレ領に呼ばれたさいに褒められたと嬉しく語った。
アドレ自体はあまり好きではないらしいが、
なんとなく流れで、砦に留まっている。


エルゼリオは、やっと立ち上がれるようになった足を、
ひょいっと軽く上げ、空で自由に動かしてみた。


まだ少し、節々が痛む。
そして、胸の辺りもじわりと気持ちが悪い。


格段に体力は落ちている。




彼は無言のまま、淡々と足を動かしていた。
蹴り、そして突き。


サハシュ信仰を敬う山岳民には、
長い武術の歴史があった。
エルゼリオの武術は、おおよそ
その山岳民の末裔である執事のロイドから
受け継いだものである。


武術の型を一通り済ませ、
そしてまた、繰り返した。




焦っていた。




「・・・エルゼリオ君。何か反応してくれたまえよ。」

と寂しげに口をとがらせるエレンガーラに、エルゼリオは
「ああ。興味ね。」
と軽くあしらって、彼を失望させた。



…もう…だめなのか?



自分への問いを、何度も何度も繰り返していた。




「・・・質問を間違えたみたいだ。
どうしてアドレはそんなことをする?」

と、問うとエレンガーラは再び答えた。


「そりゃあ、興味があるからだろ。」


同じ答えである。


「じゃ、死体は?」

「そりゃあ、アドレがやったんだねえ。
刀傷。すんごい似てるし。癖あるし。」


アドレ…。
おそらく、今では到底勝てない相手だ。
恐ろしいまでの、剣使い。
アーサーですら、苦戦し負けるかもしれない、男だ。
もう一度戦いたい。

けれども、答えは出ている。



勝てない。
勝てない…。



「何をやって、そんな死体が・・・。」

「そりゃあ、殺人してるからだろう。
戦争。あと、時々闘技場で殺されてる奴。」

「闘技場ってのは、アドレが戦うんじゃなくて・・・。」

「い〜や。戦う。戦ってるよ実際。
つまりは、当て馬といいますか、
要するにだな、捨て駒だ。アドレ自身が強くなるための。
それがただ、皆には知られて無いだけ〜。」

「…ふーん。」


すると、少し俯いたまま床を凝視しているエルゼリオに、
エレンガーラは淡々と語り始めた。


「何人も何人も、色んなやつがこの砦に運ばれてきたよ。
皆死にそうだったし、実際に馬車で死んだやつもいた。



馬車の上で、がたごと揺られながら、
道に転がってる石のせいで、
派手に揺れる瞬間に、体中に走る激痛を
何度も味わいながら死んでいく。


砦に、山に近くなるにつれて冷える空気の中、
たいした毛布も服も着ていない、
血塗れた傷をさらしたまま、
体が末端から冷え切って、
誰でもいい、温かい手を差し伸べて
にぎっていて欲しいと思いながら、
死んでいく。


そういうの、経験して語ってった奴も、
私は治せずに死んでいく。


運が良くて、治療できたとき、
「完治おめでとう。」「ありがとう。」といいあって、
別れた一週間後に、同じ馬車で運ばれてきた奴の死体。


そういうの、ほんとうに昔はやだった。
今も嫌だ。
本当にいやなんだ。
いつかそれに、その気持ち悪いのに、
慣れてしまう自分も嫌だ。
自分が気持ち悪いんだ。


エルゼリオ。」

「ん?」

エレンガーラはエルゼリオの顔を見つめることはしなかった。
むしろ、見つめたくないと無意識に拒否していた。

けれど、この言葉だけは言わなければ、
と彼の口だけが、ぱくぱくと空虚に動いた。


そして、結局言葉を飲み込んでしまった。


二人はしばらく沈黙してから、互いに思いを巡らせた。



「なあ、エル君よ。」

「ん?」


エレンガーラはごろりと石の床の上に横になり、
わき腹のあたりを引っかきながらつぶやいた。
何かがむずがゆいらしい。


「治ったらどうするのかな〜。」

「・・・。」

白髪の男は、それからごろごろと横へ転がり、
エルゼリオの足元まできて止まった。


「俺もフェイティシアにあいたいな〜。」

「・・・。」



酷く思わせぶりである。
というか、大変うざったい。
しかも、よくわからない。


エルゼリオは呆然うんざりといった具合で、
この良くわからない男を上から見下ろした。


白髪の男はにんまりと微笑み、

「ここで生き残った奴はねえ、皆アドレのところに行くんだよね〜。
だって、後ろは山脈だもんねえ〜。
雪が積もってごつごつしてるもんねえ。
それなら、まあアドレのいるところへ帰ったほうが
暖かい土地にいけるもんね〜。

どうするのかな〜。エルゼリオ君は。」

とのたまった。

「・・・踏むぞ。」

ひゅっと持ち上げていた足を下に下ろすと、
間一髪で白髪の男は転がってよけた。

また、元いた場所に転がって戻っていく。

そして、急に真剣な表情を見せると

「・・・まあ、聞かなくてもわかってるけどね。」


と、白髪の男はつぶやき、小さなため息をついた。

そして突然にやりと笑い、食事をとろう!食事をとろう!と言い出した。

死体を運んでくる馬車は、食べ物も運んでくる。
ただし、戦争になり、そのことを忘れているときもある場合、
エレンガーラは自分で肥やした土を使い、
育てた、やたら寒さに強い自家製植物を使って、
ささやかな食事にありつくのだった。







「友人は、その妙な友人と共に、しばらく砦に滞在しました。
そして、命を助けてくれたお礼に、
馬車のやってくるある日、その馬車を奇襲したんですよ。」

「奇襲、ですか。」

「そうです。確かめたかった。」

「確かめる?」

メルビルはふむ、と息をつき、目の前の男の話を聞いていた。
日が暮れかかっている外から、
夕日が室内を照らした。

燃えるような赤は、エルゼリオの衣装をそのまま照らし出し、
さらに燃えあがるような不思議な空気をつくりだしていた。


「・・・正直、彼は悟っていました。
この体では、はたして以前と同じくらいの働きができるかどうか、
疑問だと。
おそらく、期待はできないだろう。
けれども、腕を試してみる価値はあると。

白髪の友人は、医学の腕はあるが、武力となると
腰が抜けて、全く使い物にはならなかったんです。

人の死体を切り分ける刃物は持てるのに、
人を殺すための刃物は、手が震えて持てないんだそうでね。

けれど奇襲をしたい。奇襲をせずには生きられない!
なんて、大げさに言うものですから。
曲がりなりにも命の恩人ですしね。」


「それで奇襲を行った果てに、どうなったんですかな。」



エルゼリオはしばらく黙って、窓の外に燃える夕日を眺めた。

「勝ちましたよ。二人倒した。」

「上々でしょう。病み上がりなのだから。」

「しかし、明らかに腕は落ちていた。
切られもしたし、浅かったのでまあよかったが。
みねうちにするはずが、大怪我させてしまったしね。」


エルゼリオの表情は、まるでさも現在そのことが
今ここで起こっているかのように苦悩していた。








何かが痛かった。
苦しかった。
そして、どこかで恐怖していた。


情けなかった。


何故ここにいるんだろう、と、おもった。


余計なことは、考えたくなかった。


とにかく、だめだった。


なにもかも。
なにもかも、だ。


反対に、エレンガーラはまるでここは天国だ!
と叫ばんばかりに狂喜している。

「まあ、後には引けますまい。エルゼリオ君、
君には感謝しているよ。

こいつらを倒すのが、私の夢だったのだ。

ま〜こいつらときたら、お前の白髪はおかしいとか、
お前の名前は女名前だとか、
とにもかくにもうるさかったのだ。
やーいやーい。ざまーみやがれ!」


ひどく落胆するエルゼリオの横で、エレンガーラは
体をぐるぐるまきに縛られた、馬車に乗っていた気絶した兵士二名を
足で蹴って転がして遊んでいた。


「エルガ。」

エルゼリオは、親しみをこめて彼を呼んだ。

「なんだね。」

と、突然冷静な表情になったエレンガーラが、
体を硬直させる。

「…予定通り、今日行くことにする。」

「予定通りに行くのか。」

と答えるエレンガーラは、エルゼリオから予定のことなど
全く聞いていなかった。

ただ、「そうなんだな」と理解したようだった。

「あんたは…どうする?」

「俺はアドレの方へ戻って、放浪の旅に出るね。
暖かい土地、いいよねえ〜。戦争とかないところがいいねえ〜。
ので、君には手を貸さない。もう立てるし。」

「うん。食事は持っていっていいか?」

「いいよ。もってけ。食事はいるぞ。」

淡々と袋に食事をつめて、エルゼリオは無言で砦の中を歩いていった。
それについていくように、エレンガーラも歩いていく。



そとは、雪が降っていた。



「馬が2頭あるから、1頭もってけ。」
とエレンガーラが言う前に、エルゼリオはその馬に乗った。

「言わずもがな。」

微笑むと、皮肉な笑みを浮かべて、白髪の男は
少しだけうつむいた。

「死ぬのか?」







酷い沈黙は、逆に雪が舞い降りる音で、うるさかった。






「いつかは。」






とだけ答えた。
するとエレンガーラは

「フェイティシアは・・・!」


と切り出した。
エルゼリオの体が、ひとりでに震えた。

再び、沈黙が訪れた。


「…フェイティシアの牛は…。」
「何を言いたいんだかはっきりしろ。」


正直、エレンガーラの遠まわし具合には、
一言言ってやりたかった。

いつも、彼の言葉は、
あらゆる物事の上に成り立っている答えを
構造としていた。
だから、最初から話さなければ、
本来言いたかったことが伝えられない。


彼本人は、端的に答えだけを言おうと苦心していたが、
いつもすばらしく前置が長かった。


それに一言言ってやりたかった。
念願かなった、のかもしれない。




けれども、エルゼリオは前置を踏んだ上でだした
エレンガーラの答えが、
いつも本当の何かを、正しく伝えようとしていることを知っていた。




エレンガーラは少しうなって、しばらく考えた末に、
「つまりだねえ〜」と切り出した。



「フェイティシアは何も言わなかったんだろ。」

「そうだ。」

「君もなにも言わなかった。」

「そうだった。」

「牛も。」

「勿論。」







「それが答えだったんじゃないかな。」







エルゼリオは黙ったまま、真っ白に染まった景色を見つめていた。
「遠く」は白にうずもれて見えなかった。
「近く」も、白くうずもれていた。
雪が全てを白くした。

エレンガーラの言っていることが、
なんのことだかわからなかった。

けれど、どこか体の中で、
何回も何回も響いていた。

全く解らない。
全くだ。

むしろ可笑しかった。
けれど笑えなかった。


フェイティシアが、あの後
どうしたのか、
忘れかけていたことを
思い出しそうになった。



エレンガーラは、そのあと
一言だけ
つぶやいた。






「だから、私も、同じ答えなんだ。」







二人は、真っ白な中で、しばらくたたずんでいた。








行かなければならない。
エルゼリオはぼんやりと思った。


「俺、いくよ。」

と、エルゼリオが切り出すと、

「また。」

とだけ笑って、背を向けたエレンガーラは手をさらりとふり、
照れくさそうに砦に帰っていった。

エルゼリオも、馬を歩き出させていた。

エルゼリオの向かう先は、
暖かい場所ではなく、
冷たい山脈だった。














それからしばらくして馬は捨てて、彼は歩くことにした。

馬では到底登れない山だ。

雪に足をとられる。

進んでも進んでも、進んだ感じは全く無い。

それでも進んでいくと、次第に肌の感覚や、
足の感覚がじんわりと無くなっていった。

けれども進んだ。
こんなに雪が多いのは、彼にとっては初めてだ。


何故山に登るのか、なんてエレンガーラは聞かなかった。
勿論、答えるつもりもない。

全てのものに答えがあるのだとしたら、
答えが全てだなんて考えたくないから登るんだと思った。


この山登りで、自分は、
今まで保障されていた全ての地位を捨てることになるだろう。

親はおそらく自分を探しはしない。
探しても、戦場で死ねばどの死体が誰かなんて、
全く見分けはつかなくなる。

たぶん、どうでもいいことだった。

どんな考えもが、今の自分にとっては、
さして重要なことじゃない。

一人になりたいとか、そんな軽い問題じゃない。




エルゼリオは無言だった。
別に笑い出しても、泣き出しても、
一人なのだからできる。





けれども、
だからこそ無言だった。






前は見えない。
だから、上に上がることだけ考えていた。
山の上に上る。
それだけだ。



フェイティシアには、ただ、「ごめん」と言いたかった。

指輪を返せずにごめんと。

けれども、この指輪は一生自分のものだろうと、

凍傷になりかけの指を震えさせて、エルゼリオはゆるく微笑んだ。

微笑みたかったけれど、
ただ無骨に頬の筋肉が引きつっただけだった。

指輪は、彼が領地から出てきたときと、
なんら変わりなく、黄金色に輝いている。

瀕死の男には、その輝きだけでも、十分すぎるほどだ。

彼はその指輪を、手ごと大切そうにマントで巻いた。





しばらく登ると、バカみたいに足が言うことをきかない。

冷たいのか、温かいのか、よくわからなかった。

仕方が無いから、もって来なければ良かったと最初思った、
剣を杖にした。
けれども、雪に埋まってしまい、使い物にはならなかった。

風は向かい風。
耳が冷たくなって痛い。


腹が減ってきた。

持ってきた食べ物を食べた。

かすかに凍っている気がした。

味もあるのかわからなかった。

眠らずに、ただ歩いた。

食べる。

歩く。

食べる。

歩く。


食べ物が尽きた。

それでも、歩く。

歩いて

歩いて

ただただ、ひたすらに。




歩いた。













そして、まんまと頂上に着いたときには、
あんまり頂上だと実感がわかなかった。


自分が何をしているんだか、
しばらく全くわからなかった。
辛いのかどうかすらも、疑問だ。



夜だった。



腰を下ろすと、

風は、嘘のように澄みきって消えていた。

空気が、あまりに純粋すぎて硬く感じる。

冷たさと、何者も入り込む余地もなさそうな、
恐ろしい透明度。

どこまでも高い夜空。



向かい風の、
今まで、行く手をさえぎらんばかりの
あの力はどこへいったのか。


ずっと、何かを悔しいと思っていた。


けれどもそんな思いも、

消えていた。



頂上の雲が晴れると、満月が見えた。

ふわりと、引きずってきたマントがはためいた。

地面に剣を突き刺して、

遠くを眺めた。

山、緑、雲、空、星。

素晴らしく、とてもよく見えた。




それから、「うん」と小さくつぶやいて、
エルゼリオは倒れた。

「やったよ。」

声が出ていたら、そう言っていただろう。
誰にかはわからないが、
誰かに向けて。















そこから、二キロ離れた場所で、一人の女と
彼女が従える一行が、彼の姿を見つけていた。
真っ白な髪が、少しばかり重苦しいくらいの毛皮のなかから覗き、
繊細にはためいた。

比較的、体は細身である。

周りに屈強な男達を従えているから、
なおさらそのように見えた。

男達も同様に、毛皮と厚めの布で、
体を覆っていた。
足も、分厚い皮を紐で巻きつけている。


「案の定。『鳥』だ。」


多少違った言語で、会話していた。

彼らは、近代文明的な物、例えば双眼鏡などは持っていない。
しかし、自力でその視力を高める力を持っていた。

本来、人間が持っている力だ。

そして、その視線は山の頂上で倒れた男を捕えていた。

「アルルカが捕まえただろう。
たしか・・・門に落ちていた・・・だとか言って。」

「金の鳥だ。傷ついていたので、治した。
今、クルファが餌を。」

一行の長である彼女は、ためらうことなく彼を保護するよう命令した。

彼女はそれから、小さくつぶやいて、
冷たげな蒼い瞳を、その繊細な睫毛で隠した。


「ようこそ、サザランドへ。」



場所は、サザ山脈の頂上。
そこは、ディム・レイとサザランドの境界。
そして、サザランドの聖地であると共に、
入り口でもあった。




へつづく

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