「暗い箱を飾るもの
−贈物にかえて−」













領主専用の客室にある、
重々しい扉を閉めると、
フェイティシアは俯いたまま廊下を駆け抜けた。

思わず右手で、頬を拭っている。

しかし、いくら拭ってもあふれ出る涙が
止まることはなかった。
冷たい夜の空気をきって、誰も居ない廊下を
ただひたすら走る。


寒々しくみえる夜の暗い屋敷も、
見慣れたはずが何故か、哀しい色を帯びて
彼女の瞳に映った。




…突然、怖くなった。




それは、若い領主の刺すような
冷たい態度が原因だったのかもしれない。
あるいは、彼がその腕で彼女を温かく
抱きしめたことが原因なのかもしれない。

けれども、突然、
言いようの無い恐怖が彼女の心を満たしていた。


…私は、なんで…。


彼が、怖いのではない。
怖いのは、おそらく自分自身だ。



彼女はいつも悔いている。



時々、言いようの無い悟りの悪さ、
身につまされるようなことを起こしてしまう、不器用さがあった。
それは生来のものだと、彼女は時々思っている。




…一人で旅をするなんて…。



フェイティシアは自室に入ると、静かに扉を閉めた。

そのまま、床にしゃがみこむ。
流れるように美しい髪が、窓からさした月の光で照らされ、
緩やかな曲線を描いた。

膝に顔をうずめ、止まらない嗚咽をしばらくそのまま許した。


彼の腕のぬくもりが、まだ彼女の体に残っている。
温かい。
まだ、抱きしめられているようにも感じられる。




彼の腕には、
ところどころに傷があった。



彼が、受けてきた傷跡。


旅をするということは、簡単なことではない。
何が起こるのかもわからない。先も読めない。
おそらく、向かう先の国のことすらも・・・。

アルデリアは、かつてミルティリアとも戦った国だ。

何故、叔父のロイドがアルデリアに嫁げさせられるような、
人脈を持っているのかはわからない。

どういう文化をもっているのか、人づてに聞いたくらいの
知識しかない。


今までは、この屋敷でただ一人、仕事を任されて従ってきた。
遠い異国の地の話題は、あくまで『話題』だけ。



彼が身をもって知ったことも、
彼女が彼と同じ傷を受けない限り、知ることは無い。




完全に、解りあうことはできない。



…楽観視していた。



フェイティシアは涙を拭うと、質素な寝台の下に置いてある、
皮製の旅行鞄を開いた。
質素な服が幾枚か、綺麗にたたんで詰め込まれている。
これが彼女の、唯一の持ち物になる。


開いたまま手をつけることができなかった。


ただ、それでもなんとか地図を取り出すことに成功すると、
フェイティシアはそれを広げて
これから向かうべき広大な土地を想像した。

領地から北にそびえる、フィオナ山脈。
その向こうがディム・レイにある
エルゼリオの父
オーデリオの領地だ。

西には向かうべきアルデリア公国がある。
叔父のロイドから詳しい場所は、
明日聞くつもりでいるが、
おそらく山脈を越えねばならないだろう。

山脈の一部は、かつてアルデリア公国と
ディム・レイ、ミルティリアが戦った
戦場でもある。

いまでこそ、山岳民たちがちらほらとその場所にいつき、
信仰の霊地・修行の地としているが、
時たま嫌な噂も耐えない。

山賊が現れるだとか、
今でも、ディム・レイ兵とアルデリア公国兵との
対立が起こるといったものだ。

特に、アルデリア側の山脈では、
そういった情報が絶えない。
かつての戦火が、くすぶって
再び大きな炎となって燃え上がらないだろうかと
心配の種にもなっている。

当然、死傷するものもいれば、
アルデリアから逃げてくる者もいる。



エルゼリオ様の傷跡…。


フェイティシアはそれを思い出すと、
何かで締め付けられるように、
胸が痛んだ。

彼の傷跡が、あまりにも重々しく、苦く、辛く、
そしてそれを受ける覚悟が、
お前にはあるのかと、突きつけられたように
思えた。

彼女は戦地へ赴くわけではない。

けれど、もしアルデリアへ行き、婚約を破棄した場合、
何が起こりうるのか
彼女には想像すらつかない。

叔父のロイドを裏切ることにもなるだろう。
彼は、まだ彼女が婚約を破棄すると決意したことを
知らずに居る。
今まで、唯一の肉親として育ててきた存在へ
恩を仇で返すような真似をすることにもなる。

当然、この場所にもいられなくなるだろう。
だが、それ以上に・・・。




…思い違い…。




フェイティシアは涙を再び溢れさせた。



当然「彼」は、彼女の旅には、いないのだ。



彼がいない。




彼がそばにいて、守ってくれるわけではない。
話しかけ、ささやき、傍らに寄り添うような、
そんないつもの「日常」には
なりえない。


そう思うだけで、胸が締め付けられるような痛みを
彼女は感じた。


当然のことだった。
当然解りきっていたことだった。


けれども、ディム・レイから帰ってきた彼は
今まで彼女のそばに居て、
朝食をとり、朝の光を浴びて、たわいも無い会話をして・・・
今までそばにいることが、なんら変わらない日常だと思っていた。


彼の腕の厚さや、温かさ。
あらゆるものを駆け抜けて、飛び越えていけそうな広い背中。
深くて温かな声。耳元で囁く唇。
いたずらっぽい微笑み。
金色の髪が軽やかにゆれる。

それが当たり前であり、考えるまでもない日常で、
当然のように彼はそばにいて、彼女を見守る領主だった。





彼の居ない日が、またやってくる。




思い出すと、彼女は身震いをせずにはいられなかった。

それは、かつて彼がディム・レイへ旅立った後で、
領地に一人残された時の気持ちに似ていた。


待っていた。
彼が帰ってくることを、待ち望んで止まない日々。
遠い空を眺め、あのむこうに彼が居ると思い、
そう思えば今日も穏やかに過ごせる。

そう思った日々。
願った日々。



…けれど今度は…。




彼はこの屋敷にいない。
そして、自分もこの屋敷には「いられない」のだ。


やわらかな寝着の上に、大粒の涙が
落ちていく。

瞳を潤ませ、頬を染めたフェイティシアは、
長いまつげを俯けがちに、
静かに寝台の毛布にもぐりこんだ。

いつもの癖で、声は出さずに泣ける。


これは、彼女にとっての我侭だった。


泣いてはならない。
そんな醜態をさらし、領主を混乱させてはならない。
あらゆるものに寛容で、あらゆるものを受け入れ、
そして強くあるべきだと、
彼女に説いたのは、叔父だったか。


子供のように、体をまるめて小さく泣いた。



しかし、
少し心を落ち着けた後で、
彼女は深く深呼吸をすると
かつて、幼いエルゼリオに話した
自分自身の言葉を思い出していた。



それは、
彼女が幼い頃、誰かに言われた言葉だった。
方法でもある。

その人は、眠る前に

箱を思い浮かべるといい。

そう言った。

そして、その箱に全てを入れてしまえばいい。

そう教えた。

全てだ。
泣きたいこと、苦しいこと、辛いこと、寂しいこと。


全ての暗いものを、
箱に詰めてしまえばいい、と。

そして、その箱が暴れだす前に、
麗しい思い出、優しい風景、瞳に焼きついた、
およそ全ての煌びやかな、華やかな思い出を、
箱の表面に飾り付けていくのだと。

丹念に、ゆっくりと慎重に、飾り付けていくのだと。


それが終わる前に、疲れてきたら眠ってしまえばいい。


とも言った。


フェイティシアは、その方法を
幼い頃の不機嫌なエルゼリオに伝授した。


「きくもんか。そんなの。」


エルゼリオは毛布を顔まで引き上げながら、
うざったそうにつぶやいた。
その日は、確か彼を含めた山岳民達の
武道会で、惨敗だった日の夜だった。

まだあどけなさの残るフェイティシアは、
小さな主人に苦心して、
ふと思い出した方法を提案したのだった。

いささか、子供っぽい方法ではあった。


「でも、できますわ。効くかどうかは別にしても。」


フェイティシアがエルゼリオが眠る寝台の傍に立つと、
彼はまぶしそうに彼女を見つめていた。

背後に窓の外から見える月光をうけて、
妖精のような少女が微笑む。

エルゼリオはそれだけで満足して、

「わかった。じゃあ、フェイティシアそばにいてよ。
その箱を飾り付け終わるまで。」


と、提案した。
彼女は、頷くと椅子をそばに持ってきて、
寝台の横に座る。

エルゼリオはそんな彼女の様子を眺めながら、
いつしか眠りについてまぶたを閉じた。

彼女は気づかなかっただろう。

彼の箱に、飾り付けられていたのが、
目の前に座る自分自身の姿だったことに。


そして、予想すらしなかっただろう。

そのエルゼリオの幼い光景を思い出しながら、
数十年経った後の今、フェイティシアが
自らの痛みを隠した箱を、
その思い出で包み込んでいることに。





やがて眠りが、全てを忘れさせ明日へつなげるのを、
夢うつつに待ちながら・・・。













その日、朝早く目覚めた彼は、早々に部屋を抜け出すと
旅を午後に控え、珍しくある場所へ赴いた。

まだ、気絶した客人は眠っている最中であった。
そばに行って確認したが、
相当深い眠りに落ちているらしく、身動きひとつ、
寝言ひとついわなかった。

対外、彼が起きる時間は決まっていたが、
今日だけは別であった。


まだ、朝日も差していない。
外の空気は青みを帯びた色で、
寒々しい夜のままである。


フェイティシアも、自室で眠っているだろう。

昨夜は、随分傷つけてしまったと
エルゼリオは酔いどれのまま、
寝台の中で思いをめぐらせていた。


彼女に当たる気はなかった。


けれども、何故かそうしてしまう。
時々、そんなことをしでかしては、
彼女はそれを優しく許した。



あの『箱』のことを思い出していた。



彼は、かつてその方法を
彼女に教えてもらっていた。
何か不安があったときの方法だ。



だが、彼が試したところ、
その方法で最も効き目があるのが、
『彼女がそばにいること』で、
『彼女が眠っている自分のそばにいてくれること』
だということに、気づいた。


箱を飾るのは、彼女しか居ない。


なんとなくだが、他のものを飾ろうとすると、
無粋な記憶まで、
彼は引きずってきてしまうのだった。


だが、その後エルゼリオは
箱の中身を覗くことに、ためらいがなくなった。


今ではむしろ、箱の中身を
摩り替えてやろう、
といった妙な心意気を持っている。


そして、それを『彼女』で飾られた箱にしまうのだ。
まるで彼女への、捧げもののようにして。



今朝も、目覚めてすぐ
彼はそんな計画で心がいっぱいでいた。
いたずらっぽい笑みが、
自然と浮かんでいる。





まだ暗い朝、鳥も鳴き出さない頃。

こんな時間に起きているのは、
対外「あの辺り」に居る人物だということを、
彼は子供のころから良く知っている。

簡単に着替えたエルゼリオは、靴の皮ひもを結ぶと、
屋敷の端に並び立つ、
石造りの小屋へと足を運んでいた。


中にがさがさと屯しているのは、
腕も体も逞しいばかりの女性達である。


彼らは、朝のまだ寒いころから、屋敷の外の掃除にはじまり、
今日の農耕計画、農地に野獣を入らせないように見回り、
果実酒の管理から、織物を行うための道具を仕入れ、
機織を行うなど、およそさまざまなことを行う。

洗濯もひとつの日課としている。

若い領主が、突然その部屋を訪れると、
突然の訪問に
黄色い歓声が巻き起こった。

「おやおやおや。あらあら、ぼっちゃま!!」

と、声をかけてきたのは、洗濯おばさんの一人である。
彼女が彼と親しいのは、今に始まったことではなく、
時々フェイティシアが彼女と親しくしていることも、
また、召使いたちが彼女と親しいことも
エルゼリオは知っていた。

「ああマルダさん、おはよう。で?どう、仕事の具合は。」

エルゼリオの誰でも魅了せずには居られない、
万遍の笑顔の裏を、
マルダはよく読む。

「あらあらあら。ぼっちゃま。」

と言いながら、早速周囲の目を気にしつつ、
さりげなく人気の無い場所へと彼を連れ出した。

「仕事のぐあいなんて、エルゼリオぼっちゃま。ふふ、
いつまでもお変わりなくってあたしゃ、随分満足させてもらいましたよ。
特に昨夜のお風呂!
ありゃあ、天国だなんて、もっぱら昨日は皆、
いっぱしの貴族みたいな気分でしたわよ。ホホホッ。」

少しばかりお高い声色をまねて見せ、
マルダはその頑強な腕を、豪快に袖をまくり見せると、
自分がどれだけその風呂によって、綺麗になったかを
「そりゃあもう、十も二十も若返りましたさ!!」
と笑顔で語って見せた。

「それはよかった。皆にも何か不満があれば、
今のうちに聞いておこうと思ってね。」

「あらあらあら。」

洗濯おばさんは、にやにやと微笑みながら
「わかっておりますよ、ぼっちゃま。」
と、いつものように素敵な(?)ウインクをしてみせた。
彼はこれをされるたびに、笑顔をくずさないまま
つい、一歩後じさりそうになってしまう。



彼が、幼いころからマルダと秘密を共有するときの合図である。

それは時に、対外の場合、フェイティシアの話題に限られることも
しばしばである。



「少し、歩こうか。農地の様子も見ておきたい。」

さりげなく、マルダとエルゼリオの様子を見に来た女達に、
聞こえるように言って見せると、
エルゼリオはマルダとともに歩き出した。

「ちょっとあたしゃいってくるよ。」

と、豪快に手を振ってみせたマルダは、いつもの様子そのものである。


二人がいつもどおり、農地のほうへ向かっていく様子を見て、
女達はマルダに密かにウインクした。
彼女達の要望を、領主に直接訴えるチャンスでもあるからだ。

ウインクで答えるマルダは、ほくほくした笑顔でエルゼリオを眺めている。


「これは、相当重大な何かを知っているようだね。マルダさん。」


エルゼリオの瞳は、楽しそうに光っている。
何かを探るに、格好の収穫がありそうだ。

マルダはにやり、と歯を出して笑うと

「そりゃあ、天地もひっくり返るほどのね!!」

と笑顔で答えた。
しかし、それ以上を語ろうとはしない。

「昨日のお風呂は凄くよかったねえ。あたしゃ、できれば
週に1回くらいは、入りたいもんさ。それに、
できれば農地の耕作民も、馬舎の奴らにもね!

特に、そうさね。
腰が弱ってるじいさんや、持病のあるレルテなんかにゃ、
あれは最高の治療法だと、あたしゃ悟ったよ。

ロイドさまはそういうことにゃ、気が回らない。
あの子はそうさね。よく気が回るが、最終的にゃぼっちゃま次第だろ?」

「勿論。じゃあ、僕がロイドにそう伝えておこう。
早速、昨日と同じように風呂に入れる手順は決めるよ。

あと、そうだな。
しばらく領地を出ている間は、皆が好きなように
あの客室の風呂を使っていいようにはからうよ。」

そう聞くと、マルダは眼を輝かせて
「だからあたしゃ!!ぼっちゃまが大好きだよ。」
と大きな体で抱きついた。

その豊満さは、こどものころから
『何か綿(そしてそのほか何かとてつもないもの)が
つまっているんじゃなかろうか…』と
思わせるほどの具合である。

エルゼリオは、その変わらない全てに苦笑いをすると

「マルダ。
それで、どうやって天地をひっくり返してくれるのかな?」

と静かに尋ねた
一瞬、マルダが身を硬くしたのを
エルゼリオは感じ取った。

どうやら、ただ事ではないらしい。

「ふう。そうだね。そのことだった・・・。」

と、表情を硬くしたマルダは、エルゼリオから離れて、
しばらく彼を見つめた。



心の中では、どこまで話すべきかを苦心して考えている。



どうすれば、あの子を傷つけず、この領主様を傷つけず、
そして二人を導けるのか・・・・。

彼女は、彼とフェイティシアのことについて話すとき、
対外その悩みが尽きない。


真実が、必ずしも全てに優しいとは限らない。


マルダはまつげを伏せると、
朝日がさすのを待っている地面に視線を落とした。

まるで、彼女の言葉を待ち望んでいるエルゼリオの心のように、
静寂な農地には、地を這う朝霧が風で流されている。

霧を晴らせるだけの、確実な情報をマルダは得ていない。
何故、フェイティシアがアルデリアへ赴こうとしているのか、
許婚に会うためだろう。
が、その後はどうする?
彼女は何故そこへ行く?
何を求めて?
そういった肝心なフェイティシアの意思を、マルダは知らない。
おそらく、聞いても答えないだろう。


…霧を増させることになるかもしれないね…。


マルダは顔を上げると、「ぼっちゃま。」と慎重に声をかけた。
エルゼリオの表情は、少し硬い。
だが、恐れてはいない。

マルダはつづけた。

「あの子はいま、ひとつの決断を下そうとしているんだ。
おそらくね。
しばらく、この領地をはなれることになってる。」

「知ってる。どこへ行く?」

エルゼリオの問いは、簡潔すぎるほど簡潔である。
マルダはにやりと、どこか強い印象を残す
深みのある笑みを見せた。

…この領主さまも、ずいぶんおおきくなったもんだ。

と、彼女は思う。「ぼっちゃま」はもう卒業だろう。
彼女は含み笑いとともに、
足のそばにある石ころを、小さく蹴った。


「そうさね。あんまり『いただけない』場所だね。
あたしゃ知らないが、うちの息子は言ってたよ。

ディム・レイとかいう隣国を狙ってる国だってね。ほら、
あたしの代や、ぼっちゃまのお父様の代では、散々揉めたと国さ。
めんどうな国。あたしのじいさんはその地で死んだよ。
兵士としてね。」

「!」


エルゼリオの顔に変化はないが、その瞳がひらめいたのを
マルダは見逃さなかった。

「おや、こりゃあ何かおもしろいこといっちゃったかね。
それとも、ロイドさまの意外な人脈におどろいたのかね?

まさかあの国と、この国が『また』お関わりになる日が
近づいているなんて、いっぱしの農耕民ですら
もう考えたくないし、考えすらおこらない世の中になっちまってるけどね。」

「…フェイティシアが休暇で行くには、随分な場所だ。
何故行く?」

エルゼリオの瞳が、酷く凶暴に光ったのを、
マルダは「おお怖」、と眼を細めて返す。

その問いに、マルダは人差し指を立てて、
エルゼリオを制した。

「そりゃ最重要事項だ。あたしにゃ言えない。はばかられる。
けどね、ぼっちゃま・・・いや、エルゼリオ様。」

マルダはもうすぐ地平線から覗きそうな朝日を、
まぶしそうに眺めた。

腰に手を当てる癖は、いつからはじまったのか。
彼女の堂々とした姿が、朝日に照らされ始めると、
エルゼリオはどんなものでも動かせない意思を、
彼女に感じることもしばしばだった。



「なんでもね。そうさ。
日が沈んで、暗闇になって道に迷っても、
次の日にゃ朝日が顔を出す。

待つかい?それとも向かっていく?
どっちにせよ、いつかは全てが照らされる。

あの子は行くことを選んだ。
向かっていくことを選んだ。
それで駄目なら本望、そんな意気込みで行くのかもしれない。
全てを受け入れるために行くのかもしれない。
あるいは泣かないために?
でも、間違っちゃいないさ。

あの子が決める。」


マルダは、完全に大地を照らす光を、まぶしそうに眺めると
「今日も始まったね。さて、あたしゃ朗報を報告しなくちゃ!」
と、少女のように微笑んだ。

エルゼリオも朝日を眺め、マルダに微笑み返す。

「マルダさんには、まだまだかなわなそうだ。
兵士になったら、軍師になってたかもしれないな。」

「おや!軒並み今だって軍師さ!!洗濯おばさんなめんじゃないよ。」

と豪快に笑う。
「ちがいない。」
と、エルゼリオは含み笑いをし、ひとつ何かが決着したような
ため息をついた。

それを見ながら、「ぼっちゃま。」と、彼女はにやにやする。
どうやらまだまだ、「ぼっちゃま」でもよさそうだ。


「昨日の風呂事件は、あたしが持ってる情報をすべて引き出そうって
そういう魂胆でしかけたんだろ?
ま、別のことがあったからかもしれないけど、いい条件だったよ。」

対外、耕作民に配慮するような条件をエルゼリオが出したり、
それが実行された場合にのみ、
彼らはそれを合図とし、
交換条件として情報を提供しあっている。


マルダがそう問いかけると、エルゼリオはニコニコ微笑んで

「そうだなあ。俺はしばらくこの地を離れるんだ。
どのくらいかわからないが、ロイドの指揮でこの領地は動くことになる。
あと、サンザスがやってくる。俺の変わりに。」

「うへえ!サンザス様!!あの悪ガキ!」

マルダは思わず天を仰いで、両手で顔を覆った。

「こりゃあ、最後にとんだ番狂わせだ!
また若い娘が泣かされるよ。

あの子が旅に出るのは
それこそ正解だったかもしれないけど…
ああ、どうにかしてくれないかね、エルゼリオさま!!」

「ぼっちゃま、じゃなくて?」

エルゼリオは楽しそうに笑い、その屈託の無い笑みに
マルダは再び天を仰いだ。


「とんだ悪ガキどもだよ!全く、どの国の軍師だって
手を焼くってもんだ。」

その言葉に豪快な笑い声を残し、
悪ガキ領主と洗濯軍師は
朝日に照らされた農地を後にした。



彼には、
彼の箱に、彼女への捧げものが
ひとつ増えそうな兆しがしていた。














目覚めると、嘘のように心が落ち着いていることに、
フェイティシアは気づいた。


眠りは深く、夢は見なかった。
ただすこし、もやがかかったように、
寝起き特有のけだるさがある。



彼女は、寝台の上で朝日が漏れるカーテンを眺め、
まぶしそうに眼を細めた。



今日も晴れだ。
また一日が始まる。

彼女はそれを確認すると、冷たい床に
やわらかな白い足を下ろした。
可憐なつま先で、スリッパに足を通す。

近くの机の上にある銀の器に、
添え置いておいた水差しから、
冷たい水を流し込む。

丁寧に顔を洗い、
清潔なタオルで水滴を拭った。
鏡の前で、
自分の表情を確認しながら、眼の周りが赤くなっていないか
少し気になる。

…少し…でも、大丈夫そう。

それから、
ふわりと寝着を脱ぐと、恐ろしく均整の取れた
妖艶な肢体があらわになる。
朝の寒さで少し身震いする様さえ、
他の誰かが見れば、卒倒しそうな麗しさだ。

清楚でいて、瑞々しく若く、誰もが心を乱されてしまうような
その体を、
召使いたちと同じ制服で隠し包んだ。

隠されることで逆に
妙な艶めかしさを醸し出している。


彼女は一息つくと、扉の前に立ち
取っ手を握った。


握って、握って…


立ち止まった。







暗い箱は閉じている。






どれだけ、時間が過ぎたのかはわからなかった。
あるいはほんの数秒が、
数時間のようにも思えた。


彼女は、扉を開いた。
いつもどおりのしぐさ。
流れる髪は、つややかに朝日に照らし出される。

もう、どこかから朝食の香りがする。

彼女は
前を向いている。
廊下を、たおやかに歩き出し、
いつもの仕事に戻っていった。









「おはよう、ロイド。」



朝、領主専用の客室で、
エルゼリオは、部屋へ入ってきたロイドを見て微笑んだ。

執事はいささか、面食らっている。


いつもなら、割とだらだらと過ごし、
フェイティシアが来るまで眠っていることもある。
フェイティシアが来る前に、ロイドに眠そうな眼をして
書類を手渡すこともある。
どちらにせよ眠そうなときが大半で、
眠っていなければ、だだをこねていることもある。

何か、重要な案件が控えていない限りは。


エルゼリオは外へ赴いていた様子で、
ちょうど簡単な羽織りもの脱いだところだった。
すっかり眼は覚めている様子である。

いつものあの、眠そうな様子は微塵も感じられない。


「…今日領地をたつ。午後がいい。」

「かしこまりました。」

「客人も連れて行くから、午後までには起こしてくれ。
いや、俺が起こそうかな。
あと、適当に美味いものを腹につめこませよう。」

「かしこまりました。」


「…ロイド。」


エルゼリオは微笑んでいる。

朝日に照らし出された彼の顔は、手にした書類を
そばにあるテーブルへ置いても変化していない。


「何か言うことはないか?」


エルゼリオは、あえてそう問うた。
ロイドの片眉が、ぴんと跳ね上がる。

「いいえ。」


「ふうん。…じゃあ話題を変えようか。
ロイドはたしか、あの国の出身だったっけ?
エルフ・レ・フェウス。」

「エルゼリオ様、国ではありません。
聖地です。」

ロイドは心なしか、静かに抑圧された声を出した。
心に閉じ込めていた何かに、触れたような反応だった。

エルゼリオは黙ってロイドを見つめている。
再び、口を開いた。


「じゃあ、その聖地がアルデリアに攻め込まれたときのことも、
詳しくおぼえているんだろう?」

「エルゼリオ様。」


ロイドの声は、怒気を帯びていた。
珍しく、拳を握っている。
その拳に加わった力は、行き場なく震えていた。

「…エルゼリオ様。そのお話について触れる気はありません。」

ロイドが怒ることは、まずない。
それは、エルゼリオが彼とともに
この領地を治めてきたときから、
ずっとである。

特に、領主である彼を強くたしなめることはあっても、
自らの怒りを、表面に出すことなどありえなかった。


今は、どうやら違う。


当然、そういった話題に自ら触れたことを
エルゼリオは自覚している。
そのまま、エルゼリオはつづけた。

「だが、アルデリアへの怒りを忘れたわけじゃないだろう。
一夜にして火の海と化し、滅んで廃墟となった聖地のことを。
お前の、故郷を!
どうなんだ!!」

エルゼリオの言葉の最後は、ほとんど咆哮だった。
その時初めて、ロイドは自分の中の怒りから我に返り、
目の前の領主が怒り狂う様子を知った。

若い領主でありながら、その姿は殆ど猛将のそれである。

その瞳は、恐ろしく凶暴で、
いつもなら新緑であるはずの色が、極めて黄金色に近づいているように見えた。
肌で、その怒気を感じられそうなほど、
室内がぴりぴりと痛い空気を放っている。

ロイドは思わず片膝をついて屈し、
君主へ平伏する体勢をとっていた。

「失礼を。執事として主人に逆らうつもりは・・・。」

「どうなんだ。ロイド。」


エルゼリオの瞳に慈悲はない。
見下ろす彼は、冷淡な足取りでロイドの前に進むと
脇に持っていた剣を鞘から抜き、
ロイドの首下に突きつけた。


殺す気で聞いている。


そう悟ったロイドの額から、濃い恐れの汗がにじみ出た。

何を知ったのだろう。
フェイティシアのことだろうが…行き先か?


それとも、私の、いや、『我々の計画』についてか?



ロイドは「エルゼリオ様。」と声をかけた。
その声は震えてはいない。
だが、これまでの会話から推測して、
ロイドは結論を下した。

「アルデリアは私にとって、敵も同然。しかし、
過去の傷に流され、剣をとったとて
散り散りになった聖地の者は少なく、対立する力もありません。

今は、フィオナ山脈に隠者として住まう者が、
点々といるのみ。

怒りは今でも、一度たりとも忘れたことはありませんが、
我々聖地の生き残りにとっては、苦い思い出のうちに
葬り去ることしかできません。」


「そうだろう。そのはずだ。」

と、エルゼリオは声を押し殺して答えた。
しかし、剣の切っ先はまだ、ロイドの首下にある。

「だが、そんなお前が何故、アルデリアと通じる脈を持っている。
我が国ミルティリアは、休戦協定は結んでいるが、
過去の戦いの禍根を忘れたわけではない。

下手をすれば、この領地がミルティリア王家に疑われかねない。」

「いいえ!!」

と、エルゼリオの言葉を遮り、ロイドは叫んだ。
それは殆ど悲鳴に近かった。

「滅相もございません。この領地を…この領地を再び
戦火の元に晒すなど!私は!!」

ロイドはそこまで言い切ると、苦々しい表情で俯いた。

「…私にとってこの地は、第二の故郷です。
豊かな土地。慣れ親しんだ民、収穫物からすべての祭事に到るまで、
我々聖地の者を受け入れてくれる、最後の土地です。

お父上のオーデリオ様は、故郷を失った我々に、
この領地に住まうという、素晴らしい機会を与えて下さいました。

そんな最後の安らぎを、自らの手で奪うようなことは、
決していたしません。断じて!誓っても!!」

ロイドはそう言い切ると、両手を床に付いて平服した。
涙を流しているのだろうか。
肩が、小さく震えていた。

今と似た姿を見たのは、
エルゼリオが幼い頃、オーデリオに何か重大な契約をした時以来だと、
彼は思い出していた。

遠目に領主室のドアから覗き見て、幼いエルゼリオは
その切実な様子を痛々しく眺めていた。




そうだった。





あの時何故、父は今と同じように平伏するロイドの
手をとって頷いてやらなかったのだろうかと。
彼は幼心に、ロイドに今すぐ駆け寄って
手をさしのべたかった。

何故なのだろう。
何故、こんなことが起こるのか。

幼い彼にはわからなかった。



だが、今解ることもある。



双方に譲れない理由があるからだ。



「…ロイド。お前のアルデリアへの怒りはもっともだ。
辛い思い出を蘇らせたことは、謝ろう。」

エルゼリオは剣を鞘に収める。
しかし、声はまだ怒気に満ちていた。

「だが、何故かを知りたい。何故お前は、
アルデリアとの脈を持っている。
そして何故、お前は姪であるフェイティシアを、
アルデリアへ行かせるつもりなんだ。」

「エルゼリオ様…。」


ロイドは、きびすを返して傍の椅子に腰掛けたエルゼリオを見つめると、
まつげを伏せて言いにくそうに、口を開いた。
床に着いた両手から、汗がにじんでいるのを感じる。

…エルゼリオ様は、フェイティシアを慕っておられる。
それも、乳母として、召使いとしてではない。
それは、彼女の熱が引いた件のあとで、確信した。


それ以上に、だ。


ロイドは考えただけで、酷い夢を見ているような気分だった。

本来、例えばミルティリア貴族に仕える執事であれば、
これは喜ぶべき図式であった。

自分の姪が、領主貴族に見初められる。

後宮に入れてもいい、と思う執事もいるだろう。
そして、実際そのような処置をとられた者もいた。
領地を守るために、権力を増すために、
女を仲介して求める方法である。


だが、ロイドは違った。


それは、彼が元聖地の人間だったからではない。
当然、領地に古くから仕える末裔の血脈の末端に
位置するからではない。
古い習慣や、信仰からくるための戒律を守るためでもない。


しいて言うならば、彼の経験。
あの無残な戦いの後の廃墟。
焦げた人間の匂い。
焼け爛れた皮膚を引きずる、敗者達が、
亡者のように逃れていく様子。

そして、彼の思い出の中心にある深い傷。
その傷の隙間から、
いつも顔を覗かせる「あの方」…。
そして…。



フェイティシア…!



ロイドは、いつもの無表情の裏で、どれだけ彼女を
涙ながらに見つめたことだろう。
そして今、ため息交じりで
この領地に彼女と暮らした一時を、思い返している。

毎日。
彼女を相応しくあらんとさせるため、
自らの我侭も通した。
素晴らしい日々だった。
そして、素晴らしい苦痛の日々でもあった。

だが、彼はそれに耐えたし、
今後も耐えることはできる。
覚悟もできていた。


あらゆるものを疑った。

今、目の前の領主ですら
疑っている。

『姪』を、彼に捧げることがどういうことなのか、
ロイドは十二分に承知している。

『姪』を『アルデリアへ送る』計画が、
どういったことなのかも、おそらく知るものは
数えるほどしか居ない。

これは、この領地を守るためでもあるし、
領主であるエルゼリオを守るためでもある。
そして、恩のあるエルゼリオの父を、守るためでもある。




エルゼリオ様には、私の『姪』を差し出すには
『重過ぎる』のだ。





ロイドは、歯を食いしばってから、
再び口を開いた。

「アルデリアは、聖地を滅ぼすために兵を送りはしましたが、
どの国にも増して、聖地を崇めている国でもあるのです。
確かに、アルデリア公を含む三大公が、
聖地エルフ・レ・フェウスを滅ぼしはしました。

しかし、それら三公にもそれぞれの宗教観があります。

聖地から全てを奪いつくそうとしたアルデリア公、
聖地をディム・レイ掌握の拠点として、先見したネベド公、
そして、聖地と聖地の民を国へ移民させたレストリア公。

彼らはそれぞれ、爵位を持つ統治者を四名ずつ従えています。
『アルデリアの十二爵』と呼ばれている者たちです。
特に、レストリア公の四爵のうちの一人、モルヴァルド伯は、
我々エルフ・レ・フェウスの生き残りにも寛容でした。

彼の祖母と父が、聖地の民だからです。

私の父は聖地の神官で、若かりし頃の私も、
一時期その任についていました。

モルヴァルド伯とは、その頃私と面識を持ち、今でも時々
アルデリア公に追われる聖地の民達を
どうにか匿おうと…
伯は苦心していらっしゃるのです。」


「…それは、知らなかったな。
父は知っていたのか?」

「いえ、お父上は伯のことは…。ただ、
伯もお父上も、聖地の故郷無き民達を領地へ受け入れることは、
大変積極的でありました。

オーデリオ様の領地には、今でも多くの聖地の民が
暮らしております。
同様に、モルヴァルド伯の領地には、
アルデリア公の手によって
聖地の民が奴隷になされないように配慮を…。」

「…奴隷、か。」


エルゼリオはおもむろに立ち上がると、窓際に立って
朝日を眺めた。
少しだけ、彼の胸の傷が痛んだようだった。

それは、ディム・レイの戦場から深い傷を負い、
肉の塊のように扱われて、
馬車に乗せられた、彼自身を
思い出したからかもしれない。



「フェイティシアは・・・。」

と、ロイドが口にすると、エルゼリオが静かに振り返った。


「フェイティシアは、アルデリアへ向かうわけではありません。
モルヴァルド伯の、所有する領地へ向かうのです。
聖地エルフ・レ・フェウスから西の、フィオナ山脈にある
小さな領地の古城です。」

「そこへ休暇に?危険はないのか?」

「先ほど申しました。
モルヴァルド伯は、我々聖地の者には寛容な方です。
あの方の兄上は、聖地の守護戦士でした。

フェイティシアをしばらく、受け入れてくださる用意は
すでに整っております。
この領地でも、素晴らしい待遇を
させていただいておりますが、あの場所で休むのも
フェイティシアにはいい経験になりましょう。」


ロイドの表情を見て、
少しばかり眉をひそめたエルゼリオは、
「なるほど」とつぶやく。

真実の中に、嘘が見える。
酷く硬く閉じられた、小さな塊のような嘘だ。


それを開き、暴くのは容易ではないだろう。


「フェイティシアはディム・レイの父の領地へ、
向かうのかと思っていたんだがな。
あそこなら安全だし…。

しかし…なるほど。なかなか面白いことを聞いた。」


そこで初めて、エルゼリオは楽しそうに微笑んだ。


「やはり、持つべきものは優秀な執事かな。
お前がそれを話してくれてよかった。
アルデリアに『つて』があるとは、父上すら知らなかっただろうな。」

彼は椅子から立ち上がると、
うろうろとその場を歩き始めた。

ぶつぶつ何かつぶやいている。
しかし、ロイドはそれを聞き取れない。


それからしばらくして、
「よし!」と両手をたたくと、
何か祭りの計画でも思いついた様子で、
エルゼリオはロイドに笑顔で振り向いた。

彼は、例の彼自身の『箱』の中身を
今まさに
摩り替えようとしていると確信する。




「では、そのモルヴァルド伯に、内密で一筆願いたい。
『フェイティシアとともに、その弟と友人も向かう』と。」

「!!?」


ロイドは立ち上がると、何のことなのかわからず
一瞬呆然とした。

まさか、フェイティシアを追って?

いや、そうではない。

弟?

弟になるのは、おそらくエルゼリオのことだろう。
その友人とは、昨日の妙な客人か…。

ロイドはエルゼリオの笑顔を見つめ、
真意を測ろうとした。




「弟とは…エルゼリオ様のことでしょうかな?」

「そうだよ。」

「いいえ!!駄目です。弟など!!そんな嘘は
モルヴァルド伯には家族関係など、
知れております。」

「うーん。では、従兄弟でもいいぞ。
お前の息子になってもいいんだが…。」




エルゼリオはあごに手を当てると、
ひどく難しそうに、しかし内実とても楽しそうに、
考え始めた。

「何をおっしゃっているんですか。」

「そうか。お前は未婚だったな。
じゃあ、隠し子っていうのはどうだろう。
なかなかな案じゃないか?
時々お前に似てるって、言われたこともあるし。」

「か、隠し子!
わ、私には隠し子などおりません!!」

珍しく顔を赤くして、怒りを抑えるロイドに
エルゼリオは至極真面目な表情で答えた。


「そうか。お前には、
機会があれば俺がここを出る前に
話しておこうと思ってはいたんだ。

…まあ、話したら話したで、
普通に過ごせなくなるだろうと踏んで、
ディム・レイへ行った時のように、
話すつもりはなかったんだが…。

今回は、お前の力を借りなければならない事態だし、
ちょうどいい。
これを見れば、わかるかな・・・。」




エルゼリオはそういうと、
懐から一枚の質のいい紙を取り出した。
皮の中に丁寧に巻かれており、
その皮には、見たことのある紋章が見えた。

双頭の馬の頭に、王冠が見えた。

ロイドは戦慄する。





ミルティリア王、直々の通達か!!?






エルゼリオはこともなげに、一枚の紙を取り出すと
ロイドの目の前で開いて見せた。

ロイドは一礼してから、
震える手でそれを受け取ると、眼を通す。

内容は、アルデリアへ向かうこと、
国内の内密の情報収集、現状などを
逐一報告することであった。

さらに、この任務をディム・レイに領地をもつ
オーデリオへ内密に連絡せよとの通達でもあった。

おそらく、そういった行動をとらせるだけでも、
ディム・レイへアルデリアが侵攻すると疑っているという意思を、
ミルティリア王家が示していると
読めるからだろう。



三国の間で再び戦が起こるかどうかはわからない。



しかし、おそらくかつてのように、
ディム・レイとミルティリア王家は手を組むことになるのだろう。

そういったことが、その文書を見ただけで
ロイドには想像が付いた。



馬鹿な!
再び戦が起ころうというのか!?



ロイドは、紙を恭しくエルゼリオに渡すと、
思わず手のこうで額をぬぐった。
彼の心の中に、一抹の不安がよぎる。


どういうことだ?
アルデリアには、王家が疑うほどの動きが
あるということなのか?

ミルティリア王族の内内でも、一領地を持つ貴族、名のある者ではなく
暗躍する者たちがいるはず…。
ミルティリアの内密な者達は、よほど詳しくアルデリアの情報を
知っていることだろう。

それをあえて、この領地の領主と
ディム・レイの領地にいるオーデリオ様に伝えるなど、
あからさまに戦への『備え』をしておけと、
通達しているようにも思える。



しかし、まさかエルゼリオ様をアルデリアへ赴かせるなど…。




「では、モルヴァルド伯には
こう伝えてもらおう。」


と、エルゼリオは紙を懐に入れると、
自身の心の中の『箱』の中身を、
完全に別物に変えてしまうような
素晴らしい考えを見つけ出したと、
確信した。

おそらく、
渦を巻く暗い海のように
頭の中を混乱させているロイドの
この後の様子は、
最高の『飾り』になることだろう。

万遍のいたずらっぽい笑顔とともに
更なる衝撃で締めくくった。









「お前の姪、フェイティシアと
『その夫』が、
休暇にアルデリアへ向かうと。」







ロイドは絶句すると、
もうしばらくは何もいう気が起こらなかった。

そのまま力なく膝を突くと、
天を仰いで眼を閉じのだった。





へつづく
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