紫の花を咲かせた草が、小さく震えていた。


瞳から人差し指の長さほども離れていない。
その緑は青々として、
闇夜の深い青に飲み込まれそうになる寸前の
夕日に照らされていた。


葉の上には、黒い水が滴っていた。

本来、自分の血であるということに気づくまで、
時間はかからない。
通常の、いつもの彼女であるならば、だ。


すでに、彼女の瞳孔は開き始めている。


目の前に差し迫った草と、見知らぬ花の紫。
その美しさにか、彼女は涙を流した。


震える指先は、すでに自由を奪われている。
差し迫るものが、鎌をもたげて彼女をやさしく運んでいくだろう。
それでもなお、
彼女がその道を選んだのには、
理由がある。

なぜ、見もせぬ「あの方」の身にまとうべき、
精緻なレースのドレスを身にまとったのか。

なぜ、危険を甘んじて受け入れ、
その日の朝、初めて履いた美しい絹の靴で
馬車の踏み台に足を乗せたのか。


噂には到底叶うはずもない、美しさの真似をして
彼女は白粉で念入りに肌を美しくさせ、
紅を引いた。

まだ、誰も受け入れたこと無い唇と、
心には淡い恋が残っていた。



それでも、彼女があえてこの大役を引き受けたのは、
彼女の父や母、祖母、祖父、叔父から叔母までが、
ひとつの目的を持って行動するに足る、
希望を見出していたからだ。

子供のころは馬鹿げたことだと思っていた信仰は、
守るべきものが増えれば増えるほど、
そして奪われるものが増えるほど、
必要になっていった。



あるいは、そう信じていた。
それが希望というものだ。



笑われてもかまわない。
さげすまれても、
いくら屈せられても。



必要だから、彼女はそれを選んだ。



しかし、希望は無常へと変わることもある。


彼女の目の前に咲く花は、
ただ、まだ見ぬ「あの方」のようだった。

震える指先が、目前の花にただ触れようと、
必死にもがいていた。

自分の血で穢れさせないよう、
あるいは、
誰にも踏み潰されることのないよう、
彼女は震えた手で
必死にその花を守ろうとしたのかもしれない。


しかし、暗闇は迫っていた。
誰も知らない寒さと、圧倒的な自由。
完全な束縛。


彼女は闇の中で光を見ただろうか?






野晒しにされた、若い女の死体が、
白いドレスを身にまとい
草原の中、夜風に曝され白くはためいた。







 『天に血の足跡、地に鳥の翼』







そこは、豪勢を極めた朝の客室。


目覚めると、彼の眼には「天使」なるものが
浮かんでいるようにみえた。

小さな少年が、背につけた羽をはばたかせているのだ。
しかも、いっぱいいる。
わんさといて、青い空を飛び回っているのだった。


だが、それら天使は、空を飛びつつ
微動だにしなかったので、
それが絵であるということに気づき、
「おう。なるほど。」
と声をあげた。

たしかによくよく見れば、ひどくひび割れていて、
修復しないと天使のお肌なわりにボロボロであった。


もったいない限りだ、と彼は思う。


どれ、立ち上がってちょっと治せはしまいかと、
上半身を起こしたとき、
寝床のあまりのふんわりとした感触に、
思わずぞっとしたのだった。


一瞬、あの天蓋の天使の絵の中のように、
地面ではなく、雲の上か何かだと思ったのだ。
彼の興味は天蓋ではなく、
すでに自分の眠っていたベッドの仕組みに移っている。

ふんわりと、体が沈みこむこの具合。

若い鳥の羽の、しかも相当柔らかい部分を
散々集めて作ってあるようだった。


しかし彼にとってこの寝台は
さっきまで眠っていた割に、
起きるとどうも居心地が悪かった。

心地はいいのだ。
心地はとてもいいのだ。


だが、いかんせん慣れの問題だった。


心地がいいことに、
彼は慣れていないのだ。
実のところ、物欲しそうに
床に敷いてある寝台の横の、
赤いマットの上を眺めてしまっている。


あっちのほうが「心地よさそう」な
そんな気すらするのであった。


そこで彼は雲の上にいることをあきらめ、
地上に降り立った。
地上の赤いマットの上は、実に固く、
程よく冷たく、
そして朝日に照らされてほんのり温かい空気で満ちていた。


そしてその時はじめて、自分が何も羽織って居ないことに気づいた。


…記憶が無かった。



それは、彼にとって特に珍しいことではない。
彼は幼い頃からその後数十年か、
あるいは数年なのか、数秒なのか
どれだけなのかわからないが、
記憶を失っている。


彼が思い出せるのは、ディム・レイの冷たい荒野、
薄気味悪く性格悪い、貴族。
そして累々の死体の中で、エルゼリオに出会ったことぐらいだった。
それからの一人旅の思い出は、
今のところ彼の一生の記憶でもある。


だが、そうだ。
確か最近エルゼリオと風呂に入ったことは覚えている。
そして、なんだかとんでもないことを
彼が言ったがために、
思わず興奮してしまい・・・・


あああ。そうそうそうだった。


エレンガーラは銀髪の頭を盛大に引っかくと、
傍においてあった妙でやわらかな材質の服を、
どうやって着るのか不明なまま、
適当に羽織り、赤マットの上に胡坐をかいて座った。


「魔」である。


エレンガーラにとって、エルゼリオはほとんど「魔」である。

なんか「魔」っていう言葉が一番あってるし、
それがどういう記憶から出てきた言葉か知らないが、
「魔」であると確信した。


果たして「魔を滅する」ことができるのだろうか、
いや、できはしまい。
この「魔」は、なんだか妙に気のいい「魔」なのである。
それは、天使が飛び回る妙なふかふか寝台に、
自分を寝かせてくれたくらいの、である。



めんどうな「魔」だなあ・・・。



エレンガーラがそんな「魔」について考えつつ、
呑気に朝日を浴びていると、
ノックも早々に、例の「魔」がやってきた。


「ガーラ?」

「うっさい!」

エレンガーラは即答する。
エルゼリオは
寝台にいないで、床に座っているエレンガーラを見つけると、
思わず噴出していた。


…上着がただ、下半身に巻きつけてあるだけだ。


「・・・お前、その格好でまさかフェイティシアに会う気じゃ
ないだろうな?」


「うっさい。」


「うっさい」という言葉は、子供が良く使う言葉である。
おそらくミルティリアに入ってから、意味を知って真似したのだろう。
エルゼリオは、「仕方がないな。」と軽く笑うと、
服の着方を教えるために、あれこれ傍においてあった服を
エレンガーラの前に並べた。

どっかと、エルゼリオも床に座る。


一つ一つ、どう着るのか教えはじめた。


こういう親切なあたり、眼の前の金髪を
「魔」から「天使」に昇格させてもいいという、
錯覚が起こりそうになり、
エレンガーラは悩み顔になる。

早速ミルティリア式の服を着てみると、
随分心地よかった。


が、いかんせん、彼は『心地いい』に慣れていない。


やがて、自分の着てきたコートを羽織って、
やっと落ち着いた具合だった。


「それで、今日出発であるとお聞きしましたの?」


よく、婦人方が話す言葉づかいである。
どうやら、「今日出発だと聞いたのだが?」と言いたいらしい。
エレンガーラには、まだまだ語学習得の余地が有り余る。

が、当の本人は言葉が通じる通じないなど二の次である。
わくわくした表情で、
重そうな皮の荷物を背負った。


「いざゆかん!行く先不明なれども。」

「・・・とりあえず、朝食を用意するから待て。」

「喰う喰う。腹減った腹減った。」

「・・・その前にお前、ちょっと話しておきたいことがある。」

エルゼリオは眉間に指をあて、しわを伸ばしてため息をついた。
床に腰を下ろした彼は、すでに奇妙な威圧感を放っている。
本人は、気づいているだろうか?

いや、気づいてはいないはずだ。
こういうふとした会話の中で、
ときどきエルゼリオの獣じみた威圧が漏れるのを、
エレンガーラは興味深げに眺めた。

とりあえずはしゃぐのをやめ、
改めて朝日の中で金色に輝く、美しい金髪の男を鑑賞する。
ぴりっとする空気を除けば、
実に、目に心地いい。
最初に出会ったときから、エレンガーラはそう思っている。

どちらかといえば、
好き嫌いというよりは、
気に入ったおもちゃだとか
木の実や虫を見つけた子供の視線をエルゼリオへ送った。

だが、奴の天使昇格は別の問題だ。


「・・・まず、これからどこへ行くか、わかってるか?」

「知っている。アルデリア。」

「どういう場所か、は?」

「怖い場所。」


のほほんとした口調で、エレンガーラは答えた。
その一言を聞いて、エルゼリオは目を細めてから、
「まあ、当たっている、か。」
とつぶやいた。


「俺のことが心配か?エルゼリオ。」

ディム・レイ語で話し始めたエレンガーラは、
言葉がはっきりする分、精悍に見える。


「いいや。お前は迷子になったら、
俺も道は知らないから助けには行けない。
そう言いたかっただけだ。」

「道は時々わからんものさ。
どんな旅でも、場所でも、時間でも、心も。」

そういってエレンガーラはおもむろに丸めがねを取り出す。
これをかけると、心が幾分澄んで思考が明瞭になった。

おもに小難しい話し用に使っている。

「アルデリアの噂は聞いている。ディム・レイのかつての貴族が
建国しているんだぞ?
互いの国は、拒絶しているようで、以外にも親密なのさ。
敵対という点において。」

エルゼリオはその言葉にくすっと笑った。

「お前がいるほうが助かる。
フェイティシアも連れて行くし。何かあったら・・・」


「ちょっとまて!」


何か聞き間違ったか?とあわてて
エレンガーラは両手でエルゼリオを静止した。


「もう一度、聞きなおしていいかな?何?
ふぇ、フェイティシアさんを連れてくとかなんとかって!?」

「うん。つれてく。」

「もういっぺん。」

「つれてく。」

にこやかに微笑まれ、驚愕と絶望と、何かとてつもない喜びと
怒りと、とにかくない交ぜになった感情が
エレンガーラに去来した。

「・・・神よ・・・。」

エレンガーラは思わず天をあおぐ。
両ひざを床につくと、うめいた。


「なぜ私にこうも試練をお与えくださるのか。
神の恵みを目前にした愚かな人間は、
その恵みをもぎ取ろうとする魔の存在を知りながら、
強いて恵みの神々しさに、手を触れることすら間々ならない。
この苦悩をご理解いただけたうえで、
なお私に苦難の道を歩ませようというのか。
というかこれはむしろ魔の策謀なのか。
目前に恵みを奪わんと欲する魔が、
私を狂わせようとあえて恵みを手にする瞬間を目撃させ、
私の心を崩壊させようとしているに違いない。
ああ、この悪戯で我侭な魔の馬鹿げた策謀のおかげで
私の一人旅への新たな準備はいまや最高潮。
とにもかくにも、フェイティシアさんと旅ができることに
私は感謝いたします。ありがとう神様。」


「旅を許可したのは神でなく俺。」

エルゼリオはトリップしつづけるエレンガーラに釘をさした。

「まあ、お前はほっといても生き抜けそうな何かを持ってるからな。
適当についてくればだいじょぶだろ。
ところで、剣は使えるようになったのか?」

「・・・いーやまったくもって。」

にこやかに微笑んで、エレンガーラは首を振る。
「そう、か。」
と、エルゼリオは目を細める。
彼がその問いにいつも眺めるのは、
以外にも無駄の無い筋肉をまとっているエレンガーラの肢体である。


この男は・・・

と、思わせる何かがある。
だが、記憶を失っている以上、
現在でもエルゼリオが解る事は少ない。

さらに、このにこにこにやにやした銀髪の男が、
剣を振り回すようにはどうも見えない。

たとえ体格が頑強に見えようとも、
この性格では自分の指を剣で切って泣いてしまいそうな、
そんなおとぼけな雰囲気しか感じなかった。


だが、時々冴え冴えとさせる明瞭さが見え隠れするあたり、
妙な器具で人を掻っ捌いたり縫ったりするだけのことはある。


エルゼリオは、ひとしきりガーラを観察し、
目を細めてから突如「ん。」と
声を漏らし
何かの気配に気づいたような獣じみた感覚で耳をすませた。


「・・・ガーラ。朝食はいずれくる。まあ、ここにいろ。
俺はそれまで、色々用があるから、また来る。」


そういって早々に部屋を出る。
エレンガーラはエルゼリオの背中を見送り、
「朝食。」とにこにこしながらつぶやいて
重い荷物を降ろした

エルゼリオが扉を開けた先に、フェイティシアがいるということを
ガーラに伝えていないのは
面倒なことを避けるためだ。
この客人は、また気絶するともかぎらない。


が、ガーラは朝が苦手なのか、あくびをはじめて
エルゼリオの動向を疑うこともなく、ぼんやりと窓際に立っていた。


窓の外を眺めると、一羽の大鷲が屋敷へ向かってきている。


それをただ淡々と眺めながら、
ガーラは再び赤いマットの上に腰を下ろすと、
荷物を枕に、うとうとと二度寝をはじめていた。





**







大鷲の気配に気づいたロイドは、
嫌な汗がにじみ出る額を、
綺麗にたたまれたハンカチで拭いていた。



・・・よからぬ報か。



フェイティシアが去った一室で、
ロイドはため息を再びつく必要に迫られた。
窓を開けると、朝の清清しい空気とは違い、
大鷲の翼に傷が見えた。

鮮血が滴っている。


鷲の足には皮の紐が結び付けてあり、
小さな袋と中に紙切れが一枚入っていた。
大きさは
片手にすっぽり収まるくらいのものだ。

しかし、表面には何も書いてはない。


ロイドは苦い顔をしながら、
紙を手にし、書斎の上にのせる。
銀の装飾のもち手に触れ、引き出しの中から
同じく両手ほどの大きさの、巨大な深緑色の鉱石の結晶を取り出した。

結晶は澄んでおり、綺麗にカッティングされている。

置石にしては、あまりに高価すぎる見た目であり、
何の結晶であるかわからなくとも、小さな家の一つや二つ買えるのではないか?
と思わせる何かがあった。

結晶の側面には、見知らぬ古代文字が刻まれており、
朝日を屈折させて光を放つ。
ロイドは紙の上に、丁寧に石を載せると、
綺麗に磨かれた石の、表面の一部を覗き込んだ。


紙の上に、光の文字が浮き出ていた。

   鷲の翼に告ぐ。
   蛇の目は我々の嘘を暴いた。
   月の女はもはや助かるまい。
   蛇の犬が嗅ぎ付けている。
   早急に双月への道へ、
   玉を送るべし。
   これ手元に届くころに、我らは亡き者と考えよ。

「ああ。」


嗚咽を漏らして、ロイドは両手で顔を隠す。

やがて、窓の外に鳩が現れ、
同じくロイドに訃報を告げた。


それは、山岳民からで、エルフ・レ・フェウスから北西数オル(kmのこと)先の
山中で、
貴族らしき者を乗せた馬車が襲われたということ。

中にいた従者男性二名はそこから一オル先で死亡が確認され、
さらに数オルトル(mのこと)先で、
白いドレスを着た女性の死体が発見された
とのことだった。


従者の一人は絞殺だった。
ほか二名は惨殺。鋭利な刃物によって、
死に至る場所を確実に指されていた。

彼らの身元は不明とある。

だが、
あまりにむごたらしいため、
山岳民は神の怒りをおそれているともあった。


「・・・。」


言葉にならない。
ロイドは、どっかと椅子に腰掛けると、
震える手を握り締め、うなだれながら神への慈悲を請うた。
これから旅立つもの達へ。
そして・・・。


フェイティシア・・・。


ロイドはしばらくしてから、椅子をたち
呼び鈴を鳴らした。

その表情はどこか冷たく、そして堅かった。







**







「こわいわあ〜。」


とつぶやいて一階の客間の、長いすに腰掛けているララーは
足をばたつかせた。


朝日の差し込む部屋は、爽やか過ぎて、
ララーは少しうんざりした表情である。

酒と夜の喧騒が似合う彼女には、少し物足りない。

唇の右下にある黒子は、
どこか夜を運んできそうな印で、
この少し疲れた表情の女性に花を添えている。
色気のある白く細い足は、そばにいるライジアには
年の割には若々しくみえた。

(実際の年齢は聞いたことが無いのだが。
そして聞いても教えてくれないのが成熟した女というものなのだが・・・)

けばけばしい化粧と服をひかえめにした以外は、
あいかわらずな態度のララーである。
彼女は思わせぶりに胸を両腕でかばうようにしながら、
傷心の嘆きを叫んだ。

「あたしっ、あたし、ロイド様に憧れてたのにい〜。
今朝のあの顔、あの表情見たあ?
いやっ。
あたしいや!あんなのあたしのロイド様じゃないっ!!」

終始酔っ払っているようなテンションのわりに、
酒は最近飲んでいないらしい。
彼女は乙女を主張するが、
やはり夜の女であろうことは、見まがいようも無いと思う
ライジアである。

だが、肌はつやつやとして血色を取り戻し、
表情は疲れているものの、
初めて出会ったころよりは、随分明るくなった。


山岳民の保養地が、彼女を健康生活へと変化させたのだろうか。


しかし、何故またこんな朝っぱらに
出くわすことになったのか。


フェイティシアとエルゼリオのいい雰囲気な部屋を出て、
旅支度をする前に一仕事!
と意気込んで
ロイド用の食事を運んできたライジアは、
突如ララーの奇襲攻撃をうけ、
ロイドの部屋へ一緒に食事を運ぶことになってしまっていた。

が、
部屋へ入ると、ナイルとロイドの空気が凍りつきそうな
会議?に、思わず圧倒され、
ライジアとララーは逃げるようにして部屋を後にしたのだった。



「あんなのっって、ないわあ〜。
紳士!紳士の鏡なの。いいえ、紳士の鏡のはずなの!ロイド様は。

そりゃ、私みたいなアバズレを相手にしてくださるなんて
甘い考えはもっちゃいないわよ。

でもね、
でも私だって、
私だって乙女な夢を見ていたかったのよ〜。」


おいおいと泣き始めるララーに、そばで見ていたライジアは、
改めてララーの恋心の原因がロイドにあったことを知ったのだが、

おもわず「紳士?」(あの教育指導的な内心うんざりなおじさんが?=私怨)
とか、
「甘い考え?」(相手にするって、あの堅物で何考えてるかわからないおじさんが?=私怨)
とか、
「夢??」(もうなんだか想像すら暗黒になりそうな、ララーとロイドの今後??=私怨とかではなく単なる予想)
を思った。


たしかに、まあ考えるにあたりロイドにはいい経験を、
ララーは教えてくれそうだ、
などと、ライジアは内心高みの見物である。

ちょっとばかし、ロイドのあの「きちきち」した感じ、
ギスギスした、何者にも心を許さないような感じを、
ララーは和ませてくれるに十分であろう存在であることは、
推測するに難くない。

さすればライジアにも、
今後ちょっとは厳しく指導されずに済むんではないだろうか??
といった甘い考えもある。


「べ、べつにララーさんが不愉快だから、あんな冷たい態度をとったんではなく、
単にああいう性格なんですって、ロイドさんは。」

と、とりあえず慰めるものの、
ララーの奇襲攻撃は間が悪すぎた、と思わずにはいられない
ライジアである。

しかも何故ロイドさん?

成熟した女の人の血迷いごとは、
相変わらず理解不能な、まだぴちぴちのライジアである。


「あっ、わたしは、わたしはあの人のこと、愛してたの!
まごうことなく、出会ったその日から、
あの方の差し出してくれた手に触れた、そのときから〜。」

朝からおいおいと泣き始めるララーは、
ともすれば酒に走りそうな勢いである。
むしろ、そういう原因を軽く作っておいてから
酒を飲まずにいられようかという生活に
逆戻りをしていくのではないか?
という危惧すら感じられた。

が、そうかと思うとララーは立ち上がり、
涙を腕で豪快に拭うと

「いいの。わかったわ。
あの天女で女神のフェイちゃんには悪いけど、
あたしはもういいの。
止めないで。
あたし、どこか見知らぬ土地へいくわ。
ライちゃん、さよなら!
心配ないわ!!」

「ちょーっと待ってください!
ララーさん。だって、
この前ここに来たばっかりで、
大体、どこから来たのかも知らないのに、
もう出て行っちゃうなんて・・・あたし。」

しきりに窓から出て行こうとするララーを
とりあえず引き止めて扉から出させようとするライジアである。


「どうせあたしの居場所なんか〜!!」


「ララーさん!朝なんです!
一番鳥はもう鳴いてるんだから、
大声で泣く必要ないんです!
と、とりあえず落ち着いて!!」

ひとしきり暴れたララーは、
窓の桟に顔をうずめ、再び泣き始めた。

こりゃ酒の力も必要である。

気付けの酒を持ってきたほうがいいのではないか?
と、ライジアに魔のささやきが聞こえたが、
あえて耳を貸さないことにした。

「ライちゃあん。」

ライジアは泣きはらした顔のララーに抱きつかれ、
思わず頭をなでている。

何故?

という表情をしながら。


ライジアの奇妙な慰めは、
ララーの大声を不振に思ったナイルが
客室の扉を開けてからも続いていた。






**






「あ○×゜のжばΡΝση煤`〜!!」



悲鳴に近い叫びに、白い肌から名残惜しそうに唇を放し、
エルゼリオは「鳥か?」と呟いて窓を眺めた。


領主用の客室の寝台で、
やっと彼に抵抗することをやめた麗しい人は、
唇の束縛から逃れる機会を与えられた。

が、彼女の力は抜けている。

例の奇妙な悲鳴すら、耳に入らない様子である。

当然、聞こえなくしているのは、
エルゼリオの淫蕩な指先や、唇であった。

朝の姿にしては、
服を乱し、どこかひどく寝乱れた様子フェイティシアの姿は、
彼を再び誘うに十分である。

半ば開かれた唇から、
艶やかなため息が漏れた。

「・・・。」

エルゼリオは黙って、微笑みながら
小指の長さほどの距離で、
フェイティシアの表情を眺める。

やわらかな頬に手でふれ、
指先で首筋に降りると、そのまま豊かな胸の輪郭をなぞる。

悲鳴をあげそうなフェイティシアの唇は、
やがて彼の笑みとともにふさがれ、
フェイティシアはためらいがちに、
彼の肩を少し押して、制した。

唇を離すと、もれるであろう彼女の言葉の予測はついている。

「っだ、だめ、です。」


案の定である。


「朝だから?」

「そう・・・じゃなくて、こんなこと・・・。」

「だって、フェイティシア。」

エルゼリオは片腕で体を起こすと、
フェイティシアの誘惑甚だしい肢体を眺めながら、

「もし旅に出たら、
こういうベッドの上ではもうできないよ?
もちろん、
俺はどこでやろうがかまわないけど。」

「・・・ベッドの上でも・・・だめです。」


エルゼリオは目の前で服の乱れを直し始める、
少しほほを赤く染めたフェイティシアを見つめ、
彼女が自分に気を許した時間
(それはエルゼリオの主観たっぷりで決定される)が
どれくらいだったか
夢想した。


きっと最長時間更新である。

もう少し更新できそうな気もする。


しかし、とりあえず腹が減った彼は
目の前の別な意味での食べものは
お預けにすることにした。

言葉以上に彼は、
「どこででもできる」と考えている。


特に、彼女と旅に出れば
おそらくほとんど、領地にいる場合に起こる制約から
解き放たれるであろうことは
目に見えて明確である。



召使いである必要も無く、
おそらく領主である必要もない。


考えるだけで、実に楽しい。



エルゼリオがにこにこ微笑む様子に、
一方のフェイティシアは
無邪気な子供の面影を見出していた。

寝台を降りると、
何事も無かったかのようにエルゼリオは
さっと立ち上がり、
朝食の前でナイフやフォークをならべ、
湯気の立つ紅茶をカップに注ぐフェイティシアを見つめていた。


そんな何気ない様子の彼を、
フェイティシアは不思議に思ってしまう。

これから旅にでるというのに、
彼には恐怖心もないように見える。

ちょっと近所の領地を見に行ってくるような、
すぐ近くの牧場に馬に乗りにいってくる、
なんて言い出しそうな
気軽さがにじみ出ている。

フェイティシアはしかし、
彼の温かな気を発する余裕を好ましく思った。



アルデリアのどこまで着いて来てくれるのか、
何故一緒に向かうといったのか、
理由は彼女にはわからない。


だが、
少なくとも子供のころのようにお互いの意見が食い違い
結局帰る道に迷ったりすることはないだろう。

むしろディム・レイへ赴いた経験のある彼のほうが、
確実に目的地へ赴ける知恵をもっているはずである。


フェイティシアは微笑して、長いまつげをそっとふせた。


彼が大人になっていくほど、
自分の存在は支えることではなく、支えられることに近づいている。
それを喜ばしく思い、
しかし哀しく思うのもまた、
召使いという立場だからなのだろう。



だがふと、彼女は問うてみたくなった。

「エルゼリオさま。」

「ん?」

フェイティシアが問いかけることは珍しいと思いながら
エルゼリオは微笑を返した。

「道に迷ったとき・・・もし、旅の途中で途方にくれたら、
エルゼリオさまはどうされますの?」

彼女の少し不安げな面持ちは、
甘えるようでエルゼリオは再び触れたくなる。

しかし、フェイティシアはつづけて

「何度か道に迷ったとき、
自分の足跡を必死に探しました。

昼間なら、見つかることもあります。
でも、暗くなれば何も見えません。
森では行き止まりになることも、あります。

領地内では、村の明かりでだいたいの位置がわかりますけど、
旅に出れば・・・。」

「夜は動かないほうがいい。」


エルゼリオは並べられたナイフの一本をとって
その刃を指先で軽くなでた。

「それは鉄則だ。
よっぽど隠れて何かをしたいなら、夜に向かうのもいいかもしれないけど、
夜は夜で動けるものが動いているから。

森に入れば狼。熊。色々いる。
食べ物には困らないかもな。
火を焚くといい。

ま、そういうルートを通らない方法もある。
とりあえず、馬車は用意できるから、
今日はそれにのって行こう。

それでも道に迷ったときは・・・。」

「ときは?」

フェイティシアの覗き込むように見る可愛らしい姿に、
エルゼリオは思わず彼女の髪に指を絡めた。

「歩くのをやめて、息を大きく吸うんだ。
周りを見回して。

頼りになりそうなものを探す。
なんでもいい。

枯れた薪になりそうな乾いた木、火を起こせる石、
河の音、日の光がどちらにあるか、
食べられそうな木の実、そうだな・・・ほかには。」

彼がいくらか対処法を挙げている間、
フェイティシアはエルゼリオを見ているようで
ほとんど目に入っていなかった。



正確には、
彼の言葉から、「思い出して」いた。



おぼろげな記憶。
ぼんやりと薄暗くはっきりとは見えないが、
かつて自分が行った「みちにまよったとき」の対処法を。


「・・・かな。
でも、フェイティシアは知ってると思ってた。」

「え?」


エルゼリオは椅子に腰掛けると、
ひどく遠い昔を思い出そうとして、額に指を当てて目をつぶる。

「たしか、そう。
この領地ではじめてフェイティシアを見た日、
森にいただろ?

俺は湖のそばで。水を飲んでいて・・・。」


「そんなころ、お会いしました?」

「うん。
ロイドにフェイティシアが連れてこられる前にね。
北部の村の、山脈近くのアシアカの森で見た。」

エルゼリオははっきり思い出して、しかし口をつぐんだ。

いつか聞こうと思っていたが、
恥ずかしくて聞けなかった問いも、思い出す。

「フェイティシアはひとなのか?」

その少年時代の愚かしい疑問は、最近エレンガーラがもたらした、
彼女の肢体の分析により、
いっそう明確に思い出される機会を与えられたようだ。


フェイティシアが記憶していないとなると、
見間違えかもしれない。

あの日、
木漏れ日が宝石の粉のように地面を輝かせていた森で、
彼が見た彼女らしき存在を、
彼自身が「存在しているものなのか」どうかすら
疑っていたのだから。

あるいは妖精だとか、精霊の類だと少年の彼は考えていた。

出会った美しい少女は、
腰まで長く深い黄金色の髪で、森を駆けていた。

すばやく動くので、表情がよく見えない。

しかし彼よりは少し年上らしく、
細い体には目にしない真っ白な絹をまとっていた。

声をかけると、彼女は何を思ったのか
突然彼の手を引いて走り始めた。
彼女の白い服が、たなびいて
翼のように広がっていた。


数分もかからず、森を抜けていた。


いつのまにか放されていた手を、しげしげと彼は眺めた。
木漏れ日の下で、
鈴のような笑い声を残して、少女は消えていた。


彼の人生の中で、最も謎めいた事件の一つに挙げられる記憶だ。



しかし、それから数ヵ月後に
ロイドに連れられて彼の目の前に現れたフェイティシアは、
森でであった明朗な雰囲気の欠片すらなかった。

召使いの服を着た少女の彼女はどこか朧げで、ふんわりとした雰囲気で、
儚げで、何かを思い悩んでいるが、それを忘れたような
つかみどころの無い様子だった。
(森のほうは、様子をみる暇すらなかったが、少なくとも何かはっきりとした
意思を感じた。)


だからこそ、今まで別人であろうと思ったし、
(まず森で出会ったほうは人だと思っていなかったし)
目の前に立っている少女が、あまりに常軌を逸した美しさであったために、
人ではないと思うにしても、
召使いの着る服を着ている限り、召使いであろうことは
疑いようが無い事実であると、少年の彼は判断したのだ。


「見間違いかな。」

エルゼリオはくすっと微笑む。

エレンガーラに反発しておいて、結局フェイティシアの魅力は、
どこか人ではない何かを想起させることを、
はじめて見る者が味わうらしいと、
少年のころすでに知っていたのだ。

用は時間や慣れの問題なのかもしれない。


フェイティシアは彼の少し思い悩んだ様子を眺めてから、
そのころ自分が何をしていたか思い出そうとした。



が、思い出せない。



かわりに、ロイドが言っていた
「お前の両親は事故だったんだよ。」
という言葉だけが、空虚に頭の中を空回りした。

ロイドは言っていた。
「馬車の事故だったんだ。山賊に襲われて、
お前だけが生き残ったんだよ。」
と。


フェイティシアは、エルゼリオの微笑みに返答しようと、

「両親の事故のことは、わたしも覚えていないんです。

でも、もしアシアカの森にいたとしても、
エルゼリオさまのお役にたてていればよいのですけど・・・。」

と、微笑んだ。

エルゼリオは彼女の髪を指に絡めるのをやめると、
もう一度寝台まで連れて行こうかという
欲望にかられる。

彼女の紅色に染まった頬を指先でなで、
形のよいあごをつまむと、
唇を落としやすい角度にあげた。


と、



隣室につながる客室内部のドアと、
廊下につながるドアの両方から
同時にノックの音がした。


そして返事をするまもなく、
その両方が開くと

「朝食!」

の叫び声とともに
エレンガーラとララー。
そしてあきれた表情のナイル、
朝からくたくたなライジアが入ってきた。


そして、めをしばたたかせるフェイティシアと、
ちょっとばかり機会を逃したエルゼリオに、

「ああああああーっ!!」

と非難の雄たけびが各方面から浴びせられたのは
言うまでも無い。



朝の清清しい空気の中、
白い鳩が一羽、翼を広げて飛び立った。






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