「熱に惑う」 1



青白い、と表現すればいいのか。
彼女の皮膚は微かに、生気を失いつつあった。
どこか、散りゆく花の風情がある。
このまま、凍ってしまうのではないか、
室内は常温でありながら
彼女だけをみつめていると、
その血の気を失せて白くなった唇に

彼女の周りだけは、氷につつまれているのではないか。

そんな気すらおこる。

しかし、室内は暖かく暖炉の火は至って順調に燃え続けている。
その様子は窓から冷え込む冷気に、逆らっているようだった。
そしてそれは、この部屋で彼女を看病する
ライジアの心のあらわれでもある。

眠気が、腰を下ろして疲れたライジアに襲ってくる。
あわてて首を振って、彼女はそれをおっぱらった。

ここで、眠るわけにはいかない。
せめて、ご主人様が帰ってくるまで・・・。

それがいま彼女が熱をあげていることだった。
しかし想いとは裏腹に、酷い疲れがじわじわと
体に侵食していく。

と、
突如荒馬の鳴き声がした。
馬車の車輪独特の音や、ゆるやかな蹄の音ではなく
単独で走ってきた馬の足音とともに、である。

「ご主人さまっ!?」

と、思わず彼女は窓際で叫んだ。
急いで屋敷の扉を、力強く開けて入っていくのが見える。

・・・帰っていらっしゃった。

と思うと同時に、ベッドで眠る彼女を見つめた。
不安が入り混じる。
呼吸はいたって弱い。
それよりも・・・

こんな姿をご主人さまに見せることに、フェイティシアさまは
抵抗を感じるのだろうな・・・。

という推測も働く。
きっと、平常であれば顔を真っ赤にして恥ずかしがるだろう。
そんな姿は、そうそう目にした事は無いが
時々見かけると、ライジアにはひどく好ましい姿に思えた。
可愛いひとなんだなあと思う。
そういうところが、ご主人様も好きなんだろうか。

「なかなかいい好みをしているとおもいますけど。」

と、一人つぶやいてため息をつくと、ライジアは決断を下した。
勿論、この屋敷の主人をこの部屋へ迎えるために。





「やさしくする。」

と言って、体を締め付ける彼に、彼女は抵抗していた。
声だけは優しくて、涙が出そうになる。
もう、体も動かない。
動かせない。

「抵抗しなければ、楽になるのに。」

後ろから抱いた彼は、少年のような声で楽しげに囁いた。
いつのまにか、場所は森ではなく
彼の部屋の浴室になっている。

「避けてるの?ちがうよね。」
と、問う彼の声は、耳元でぐわんと鳴り響いた。

「もう叱り付けることもできないほど、大きくなった。」
「・・・エルゼリオ・さま。」

やめて。
と、言えなかった。

どうしろというのだろう。
召使いならば、主人に従うことが全て。
けれど、主人を思うならばけっしてその間に
何か、があるべきではないのだ。
それは、召使いという存在からの我儘だろうか。

そして、彼を心のどこかで・・・。


認めては、だめ!!

彼女は顔に熱を感じながら、強く念じて否定した。

だから、迷子になってしまう。

知られたい。けれど、知られたくない。
知りたいと思うなら、教えてあげないで惑わせて
軽い嘘ではぐらかして、
からめとる腕からにげて。

今は、にげられない?

そう思うとぞくりと震えずにはいられない。
恐怖、なにかに・・・。
こわがっていた。

ぎりぎりと締め付ける腕に、彼女はまだ
夢の中で囚われたままだった。





「いけません。エルゼリオ様。」
とは執事ロイドの言葉である。
いたって落ち着いた風情で、彼は主人の前では振舞った。

「今部屋に足を踏み入れれば、貴方様が風邪を。」
「どけ!」

と、怒りに満ちた表情でエルゼリオは執事の前に立つ。
頬は外気の冷たさに反抗するように赤く熱を帯び
射る様に新緑の瞳を、目の前の障害物に向けていた。
いつもと違う雰囲気に、ロイドは微かに後ろへ引きそうになる。

少年らしさも、いたずらっぽそうなあの彼特有の表情も、ない。

「おまえは知っていたのか?」
と怒りをこめて彼は尋ねた。
もちろん知っているだろうという、推測をこめてである。
「・・・何を、でございますか?」

さらに力強く足を踏み出しエルゼリオは
表情一つ変えない執事に、押し殺した声を発する。

「フェイティシアに熱が、ということをだ。」

その言葉を聞いて、さすがのロイドも執事から
彼女の叔父という顔をのぞかせた。
眉がぴくりと動く。

本当は、どうにかしてやりたい。
けれど、主人が全てである彼にとって
彼女と彼、二人をのせた秤は
彼のほうへ傾くのは必然である。

「私は、執事でございますれば、ご主人様。
どうか・・・。」

部屋には足を踏み入れぬよう、
という意味か、あるいは
自分の立場を理解して欲しい、という願望か。

ロイドは眉間にしわを寄せて、深々と頭をもたげるよりほかはなかった。

いまいましいと思う。
召使いという身分がなければ、自分がこんなにも大切にされ
大切にされすぎて、身動きが取れないことなどないだろうに。
誰も彼もが、彼に優しすぎた。

彼女ですらも。

彼は歯をくいしばり、うつむいた。

裏切りのようにすら、感じられた。
嘘を、つかれていた。
熱があるのに、そうでないふりをして・・・。

いつも、行き場のない感情をもてあそばねばならない。


そんな緊迫した場所にやってきたのが、ライジアである。
ばたばたとあわてて、ときどき躓きそうになりながら
駆けてくる様子は、その場の緊迫感を解くのに
十分だった。
「うなされることもなくなったみたいで・・・
フェイティシアさまは、少し回復なされたようです。」
と、第一声で報告したのには、ロイドも苦い顔をするよりほかなかった。

エルゼリオに、フェイティシアの部屋へ赴きたいという願望を
波立たせる言葉である。
「うなされていたのか!?」
と、食って掛かりそうなエルゼリオに

「あまり騒がれると、疑われますよ。」
とライジアはそっとささやき釘を刺した。

召使いとの関係を?

けれど、それはないだろうと彼は昔から知っている。
それは、彼女が彼にとってあくまで

乳母的な存在として、フェイティシアを大切にしている

ということを回りは信じ込んでいて
そうでなければ

年が離れているから、
とか
フェイティシアのまじめな性格から
そのような不埒な真似は死んでもしないだろう
ということが彼らの常識だからである。

彼の、思いも知らずに・・・。

しかし、ライジアの助言は彼を冷静にするに足るものだった。
彼は、少なくともこの場にいる者達に納得してもらわねばならない。
是が非でも!

「育ててくれた召使いのひとりとして身を案じて何が悪い。
ロイド、彼女の部屋へ通してくれ。
しばらくは、何も仕事はない。」

嘘だった。
仕事はあるし、彼女を女性として愛している。
しかし、真摯な思いだけは本物だった。

「ロイドさま。私が、そばにおりますし
エルゼリオさまに風邪をうつすなど、させませんから。」

ロイドの表情は硬かった。
「お前、オレがそんなに虚弱体質に見えるか?」
「い、いえ、それは・・・!」
「お前の親切は、わかっているつもりだ。ロイド。」

ふいに肩に手を置かれ、すっかり怒った顔を忘れたように微笑んだエルゼリオに、
ロイドは不意に目じりが熱くなった気がした。

執事の彼もまた、幼いころのエルゼリオの幻想に
フェイティシアと同じく悩まされていたのである。
それが・・・

もう、この方は・・・。

そんな老人の横をすり抜け、ライジアと共に
階段を駆け上がるエルゼリオを見送ると
執事のロイドは微かに微笑んで、
集まった召使いたちを元の業務に戻すよう
義務的な命令を下し始めていた。







部屋は暖かい。
かすかに、熱を帯びているような気もする。
この部屋の主のように・・・。

ライジアを入れず、ひとり部屋へ入ったエルゼリオの目の前には
青白い表情をした彼女が眠っていた。
かすかに、額ににじむ汗が光っている。
唇には、いつもの紅色の赤みもない。

ぼうぜんとしながらも、吸い込まれるように彼女の傍らへ足を運んでいた。
どうしようもない色気がある。
氷で出来た美しい彫像か細工のようにもみえた。

肌が、ぞっとするほど透けて白かった。
死・・・
という不安がエルゼリオの心を冷たくする。
けれど、かすかなうめき声に彼は
彼女の命の炎の揺らぎを感じていた。

その炎はまだ、燃え尽きようとはしていない。

目を細め、怒りを押し殺した。
彼女にとって自分とは何だったのだろう。

ずっと・・・考えていた。

「フェイティシア。」
手を彼女の枕元へつくと、唇が触れそうなほど顔を近づける。
触れそうになる。
触れさせたい。
けれど、
ふれさせない。

まだ・・・
褒美をもらうには
はやすぎる。

生きてくれ。
そう切に願った。どうしようもない不安を
自ら拭い去るように、くりかえして。

何度も、その体を抱くことを夢見ていた。
けれど、いなくなってしまえば
死んでしまえば・・・
いったいそこに何が残るのだろう。

にげられる、気がした。
逃がしたくない、そうおもった。

「・・・や。」
と、呼びかけに答えるように彼女がうめいた。
その反応に彼の顔はほころび、再び声を聞こうと呼びかけた。
「フェイティシア。」

「いや・・・。」

「・・・。」

いや、といった。
拒絶の言葉だった。

彼は全身を硬くして、その言葉をうまく心の中に飲み込もうとした。
いつも、拒絶されている。
「・・・いや!・・・」

と、彼女の力ない声は、切なく彼のこころに突き刺さった。
拒絶。
彼女の夢の中でも?
拒絶。拒絶。拒絶。

彼は、目をつぶりかすかに俯いて
顔を影にして誰にも見つからないように

笑った。

歯を食いしばっていた。
涙はでない。
けれど、どうしようもなく何かが乾いていた。
体が熱を帯びていた。

このどうしようもない体の中にある熱に
ずっとうなされ続けてきた。
どうしろと、いうのだろう。
拒絶?
いまさら。
いつも。

何もかも奪いたくなった。
いつも、この思いは変わらない。
壊したくないものを、壊してしまいたいと思っている。

目の前にある彼女の体が、彼を誘った。
触れれば、かすかに冷たくて
けれど変わらずやわらかくて、ここちよくて。


エルゼリオは深く、ため息をはいた。



「フェイティシア。そばに、いるよ。」

エルゼリオは、無表情でつぶやくと
ベッドの脇に腰をかけ、彼女の頬に指で触れた。

「もどっておいで。目を覚まして。」

その言葉は、彼の全ての心の叫びを表していた。
けれど足りなくて、呻くように彼は
その言葉の後につけたした。

「こわく、ないから。」

髪に触れ、絡めて放して、再び頬に触れる。
そおっと優しく、どうしようもなく微かに、
拒絶、されないように。







「フェイティシア。」
と、声がした気がして彼女は冷たい体を動かそうとした。

浴室で、彼女を抱きしめている彼とは、違う声のようにおもえた。
「・・・だれ?」
と、つぶやく。

けれど返事はない。
「聞くな。」
と、そばで彼女の体を締め付ける声が命じた。
冷たくてきん、と耳に響く音だった。

「お前は怖いのだろう?フェイティシア。」
「苦しいだろう?もう、味わいたくないだろう?」
「にげたいだろう?」

さまざまな言葉が折り重なって降ってくる。
聞きたくない言葉だった。
けれど、本心でもあった。

「いや。」

とだけ叫んでいた。
心を抉るような言葉に、裸で体を晒している気がした。
どうしようもなかった。

いやなのは・・・
どうしようもないのは・・・

じぶんだと、わかっているから。

泣きたかった。
弱気をさらけ出して、誰かに悩みを打ち明けたかった。
行き場のない感情に、かすかでもいい。

慰めが欲しかった。

けれども・・・

それが嫌で、たまらなかった。
邪魔でたまらなかった。
慰めがほしい?
誰かをたよりたい?

いらない。
少なくとも召使いのわたしには・・・
そう思った。

「いや!」

と、思い切り叫ぶとかすかに体を締め付けていた冷たさが
抜けた気がした。


そして・・・


ふいに頬に暖かい風を感じた。
髪を、撫でていく夏の風。
新緑を思わせる、熱をおびた風。


その次の瞬間、真夏の草原に降り立った彼女の体は
一人の男の前にあった。

彼が誰だか、ぼんやりして思い出せない。
金髪で、けれど嫌な輝きは決してなくて
ふんわりと微笑んでいる。

けれど、ちょっとかなしそうに。

「こわく、ないから。」

と、彼はつぶやいた。

怖そうにみえはしなかった。
なのになぜ、かなしそうなんだろう。
彼女は慰めるように微笑んで、首をかしげた。

どこかで、会っているとおもった。
近づくと、その金髪にふれたいとおもった。

体は前に比べて随分軽い。
けれど鈍くも感じた。
まだ、動かないようだ。

けれど、ひとつだけ思い出したことがある。
それは


彼をすきだということ、だった。







「だれ?」

と、つぶやいて彼女は眼を開いた。
長いまつげが上にあがり、そばにいた彼ははっと体をこわばらせる。
彼女の瞳は、まだ空ろを見ていた。

「エルゼリオだ。」
と、言いそうになって彼は、それをふいに口をつぐんでいた。
今は、自分ではいたくなかった。
嫌われている、彼女の中で拒絶されているような存在に。
かわりに、

「だれでも。」

と、微笑んだ。

「・・・そう?」

と、彼女もほほえんでいる。
今まで見たこともないような、笑顔だった。

「だから、あなたは・・・そんなにかなしそうなの?」
「・・・いや。」

彼は、少し顔を赤らめた。
いつもこんな風に声をかけられることはなかった。
丁寧な言葉で、礼儀正しい言葉を自分に対して使う彼女。
主人に仕える召使いとして・・・。

そんないつもの彼女とは、違った。

彼女は、照れくさそうな彼をみて微笑んだ。

「そばに・・・いてくれ、る・・・?」

ふいに、紡がれた言葉に彼は驚いていた。
思わず体を離すと、動かした彼女の白い手が
彼の指先に触れた。
その白い指が、そっとやわらかく自分の絡めとる。

ちょっとした奇跡が起こったように、彼は自分の指を
させるがままにして彼女を見つめた。

「いて・・・。」

やわらかな紅みを帯び始めた唇からこぼれでた言葉は、
けっして命令ではなかった。
彼に対して、初めての我儘。
たったひとこと。

けれど、エルゼリオにとってはそれが最上の喜びに感じられた。
どうしようもなく嬉しそうに微笑みそうになって、
彼は、ちょっといたずらっぽい笑みを浮かべた。
もっと、彼女の我儘を聞きたいとおもった。

「さみしい?」

彼女の白いゆびを、絡めとると唇でもてあそぶ。
抵抗しない彼女の様子に
はじめて、心が通じた気がした。

彼女はすこしくすぐったそうにはかなげに微笑んで、
目の前の新緑の瞳を見つめていた。
ちょっと思い出そうとするが、うまく思い出せなかった。
だから、ありのままを答えた。

「ずっと。」
「ずっと?」
「・・・ええ。」

彼は、その言葉を聞いて少し寂しくなった。
彼女にとってやはり、主人である自分とは頼られる存在であって
頼りになる存在ではなかったのだろうか、と。
けれど
今なら、と彼は熱に惑わされたように思った。
いまなら・・・

「なら、そばにいて欲しいって、言って。
オレ以外の、他のやつには・・・いっちゃだめ。」

真剣に念を押すと、彼女は楽しそうに微笑んだ。

「・・ほかのひと?」
「ん。」

ふんわりと微笑んだ彼女からは、なつかしくて甘い香りがして
彼は顔をそっと、彼女の鼻先にふれるほどそばに近づける。
唇が、ちょっとした動作でもすぐふれそうなほど
そばにある。

「いってくれ。」

そう力をこめてつぶやく目の前の青年の表情は、やはりどこか寂しそうに見えた。
なぜかわからなかった。
けれど、そばにいたいとおもった。
ずっと、思っていた気がした。

「いってくれ。」

と、再び言葉をこぼす。
二人の間にしか聞こえないほどの囁きだった。
熱がうつったのか、と思えるほど彼の体が熱かった。
そばにある美しい細工のようなまつげや髪に
熱の原因となる彼女自身に
惑った。

触れられない。
壊したいけれど、壊せれなくて。
どうしようもなくたいせつにしたくて・・・。

いま、そばにいてくれると言ってくれば
彼女はきっと自分のことを
心の底ででも、思っていてくれていると
確信できるとおもった。

今までずっと、知りたかったこと。
今まで、全く見えなかった彼女の心。

切実な、願いをあらわした言葉だった。

そんなどうしようもない表情が、彼に滲むと
彼女は、手をうごかしてゆっくり彼の髪を指に絡めていた。
いつも、そうしたいと思っていた気がした。
そしてむかしに、そんなことをした気がした。

けれど、それだけでは彼の言葉の答えには足りなくて、
彼は切実な視線を彼女に注いでくる。

一度言い出したら、てこでも動かないひとだと
彼女はどこかで彼を知っていた。

待たせたい。
そう思った。
ちょっとしたいたずら。

ためらって、はぐらかして。

ふと
鼻先が、互いに触れた。
彼の片手をにぎって、あたたかなここちよい体温とおなじように
かすかにあたたかい。

ここちよかった。

すこし、もうすこし
ふれてみたいとおもった。


ちょっと頭を浮かして、
くちびるを
彼のくちびるに
触れさせてみた。


一瞬


なにもかも彼は、
わけがわからなくなりそうだった。
彼女を欲しいと思う欲望も、願望も、すべてが
真っ白になった。

彼女は、さっきとかわらずに微笑んでいた。
そして、目をとじる。
やっと、彼が欲しがった答えを、


「・・・そばに、いて。」


とささやいて・・・。


そのままふたたび眠りに落ちていく彼女を
彼はぼんやりと夢うつつに見守った。
彼女の手は、まだ彼の手をにぎって放していない。
それだけが、なによりも全ての出来事の
証のように思えた。

しばらく、彼は手を放せずにいるだろう。
そして体を支配する原因不明の熱に
心地よく惑わされていた。





へつづく

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