「双つの道」1








メルビル子爵とその養子であり、執事フォーンデルが、
エルゼリオの少し困った笑みを見たのは、
かれこれ数時間経った後だった。


エルゼリオの語る物語は、
(というより彼の友人の物語は)
彼らにしてみれば意外な方向へ傾き、
そして現在、
エルゼリオ自身のため息とともに、
休止符を打とうとしている。




当然、これからの物語が、メルビルにとっては重要だった。



すなわち、


目の前の黄金の髪を持つ屈強な青年は、
ディム・レイから非公式で、
アデーリア勲章・セルバドール勲章という得がたい武勲を
見事勝ち得たのか、
ということである。




だが、目の前の青年は、メルビルの背後にある窓の様子から、
日の落ちた青い空気の濃さを、確認したらしかった。



先手を打ったのは、メルビルである。



「エルゼリオ殿、今夜はこちらに滞在されてはどうか。
是非続きをお聞きしたい。
フォーンデル、食事の用意を。」

しかし、この申し出に対し素早く反応したエルゼリオは、
眉間に皺一つよせずに答えた。

「いえ、申し訳ないのですが、子爵のご用件をお伺いしだい、
私は早々に屋敷へ戻ります。
おそらく・・・。」

エルゼリオは、笑顔から一変、
獣でものり移ったような瞳をして、
メルビルとフォーンデルをぞっとさせた。

その新緑の瞳の奥に映る、輝く黄金の光は、
多くの人々を簡単に引き込み、
硬直させるだけの、何かを持っていた。

肩の辺りの筋肉が萎縮し、空間が身体を圧迫してくるように感じる。
そんな、奇妙な感覚を与える色を滲ませていた。

そして、彼の低く透った声が、



「子爵のご用件は、
我がミルティリア国王直々の勅命と
見受けました。しかも、高度に内密な・・・。」





との言葉をつむいだとき、
メルビルは沈黙し、そして大きくため息をついた。





全くその通りである。




メルビルは身体から力を抜いた。
どうやら、目の前の青年は必要以上に物事を考えつくす性質らしい。
しかも現実的であり、空想の余地はなく、
物事を言い当ててしまうような、力を持っている。
フォーンデルからブランデーを貰うと、子爵は口に運びながら、
眉間に皺を寄せた。


「・・・その通りだ。いや、そもそも私が引き受けるはずの仕事だったのだ。
私は、この国で戦が無くなってからも、
頼れる秘書や、側近に領地を任せ、
他国へと赴くことが多かった。

当然、君のお父上も、
私と同様の仕事を、先代の国王より仰せつかったこともある。

内密な仕事ではあるが、
軍人という点、この役職を進められる機会が多くなるのは
戦がない時代のせいかもしれんな。」



「父から、伝え聞いています。」


静かに応じるエルゼリオの空気は、
大役をふられたにしては、
あまりに静寂すぎて、
フォーンデル、メルビルともに何か、
奇妙な違和感を感じずにはいられなかった。


灼熱の国に、突然吹く冷風を味わったような、
喜ばしい反面、薄気味の悪い、
謎めいた空気をまとっている。


「・・・現在の状況を、他国の状況を知っておられるか?エルゼリオ殿。」

と、メルビルは現状を読む力を把握するため
問うてみた。

「・・・そうですね・・・。」

エルゼリオは少し視線をそらして、それから

「ディム・レイは現在、国内の秩序を取り戻す復興事業が盛んです。
おそらくサザランドは、現在どの国に対しても中立、
あるいは、ロアーダには手を貸すかもしれませんね。

ディム・レイ隣国アルデリアは・・・、
オルガルドとは中立を保っていますが、
サザランドとディム・レイの先の戦では、
サザランド寄り、を主張し現在もその動向を伺っている・・・
といったところでしょうか?」


「そうだ。


ディム・レイの戦はそもそも、サザランドを巻き込んではいるが、
国内の内乱によるところが大きいと聞く。
ディム・レイ貴族が二分しているのだろう。

あの国の現在の国王は、
王族と貴族の、王位を巡る
暗殺と謀略から奇跡的に生き残った寵児。

現在、ディム・レイにとっての幸福は、若き国王にかかっているが、
当然アルデリアの出方次第では、
ディム・レイは苦難の道を強いられる。


おそらく、ロアーダはディム・レイに加勢するだろう。
サハシュ信仰の血脈の強い国同士だ。
当然、信仰面ではアルデリアも例外ではないが・・・。」


信仰。


このサハシュ信仰が、もっぱら国々の「繋ぎ」であることを、
そこに暮らす人々は、薄ぼんやりと把握している。

アルデリア、ディム・レイ、オルガルド、ミルティリア。

ロアーダを除き、
この四つとさらに近くある王国が屹立する大陸を、
人々は「メルフィリア大陸」と呼ぶ。

この大陸の国々全てが、サハシュ信仰の元に
独自の国家を築き上げている点にも、
大陸の名の影響が見られる。



メルフィリア、とは
ロアーダより生まれた
サハシュの神々によりつくられた人間が、
最初に降り立った地上をいう。



メルフィリア大陸、四つの巨大国家に限らず、
サハシュ信仰を独自の解釈で分派していった者達が、
それぞれ国家を築いていった。

サザランドなどは、エルゼリオの見解ではおそらく、
過去において、
ミルティリアのエルゼリオが住まうオルガルド領にある山脈、
この山の民の分派した一族ではないかと見ている。

専門家を呼んで検証させれば、
喜んで飛びついていきそうな話題である。


だが、エルゼリオがサザランドで出あった人々のように、
言葉や意志、信仰が似通っている人々もいれば、
対立し牽制しあう国家もある。

アルデリアなどは、特に対抗意識が強くなった。
それも、三十年前の戦によって、である。



「アルデリアは二十五年前の戦の件がある。



今は無き失われた聖なる土地と呼ばれた小国家、
エルフ・レ・フェウス。
その土地に生まれた者たちは、
ロアーダの神族と王家に匹敵する
地位と名誉を授かった、
誇り高い一族として育つ。
メルフィリア大陸に住まう、唯一の神々の子孫。



『サハシュの女神を奪った貴族。』



・・・ディム・レイのあの男は、そう仇名されていたな。
女神も男も、
今も、居所は不明、あるいは殺されたと言われているが・・・。


あの戦が、そもそも我が国とアルデリアとの、諍いのもとだった。


もし今回ディム・レイへ、アルデリアが攻め込むようなことになれば、
当然、我が国も戦を仕掛けねばならんだろう。アルデリアへ・・・。」



「・・・アルデリアの動向を、探って来いとの仰せですね。」


エルゼリオは淡々とした口調であった。
だが、ひどく冷徹な、静かに燃える闘志に、身を包んでいる。


暗躍。
内密の、味方の無い、孤独な行動。



貴族と言う肩書きも消され、
一人の、全ての身分を偽っての行動。




「そうだ。国王直々の勅命だ。しかも、内密にな。」



部屋の空気は、一瞬重くなった。


答えを求める者は、その責任も問うている。
任務の遂行、そして成功を賭ける。

答える者の内には、どれほどの感情が渦巻くだろう。

過去の実績も、経験も、苦悩も喜びも、
未来の保障をほんの少し、補強するに過ぎない。
だが、同時に全ての可能性が、そこにはある。


いつでも・・・。



エルゼリオは瞼を閉じて、思い出す。
今までの全てのこと、
そして、これからのこと。


現在のこと。


そして、
あの人は待っていてくれるのか、
という願い。


再び、生きて帰ってこられるのか。


そんな、漠然とした疑問が浮かぶ。


途端に、彼の思い出すべてに刻まれた、
彼女の姿が一挙に目の前に浮かんだ。

優しい笑顔。
さりげない気配り。
悲しい、抑えるような苦しみを現した表情。
いつもの仕事の風景。
その間の仕草。

そして、駆け寄ってくる彼女。
頬にやわらかな手を触れて、
傷を癒してくれる彼女。
服を着せる瞬間の、柔らかな布の動きと共に、
数十センチくらいしか離れていない、
優しい香りと息遣い。

光に透ける蜜色の髪。

陽を受けた金の瞳。

とびきりの甘い笑顔。

長い睫毛に、とおった鼻筋。

薄紅色の頬は、春の色に染まり

弾力のある柔らかな唇が、
彼の心を絡めとるように
静かに、やさしく
ことばをつむぐ。


「エルゼリオさま。」


そして、彼はもし自分が再び他国へ行くことになったら、
と考える。

彼女は、その報告をどう受け止めるだろうか。


待っていて、くれるのだろうか。

エルゼリオは、かつてディム・レイへ向かうその日、
最後の瞬間に見せた、フェイティシアの表情を
覚えている。

少しだけ、頼りなげなたたずまいで、
屋敷の玄関から、見送ってくれた。
晴れやかな笑顔で見送る
多くの召使い達に混じって、
彼女の表情だけが、
少し悲しげだった。

両手は、胸の前で握られていた。




祈るように・・・。




そして、彼がディム・レイから帰って来た時に見せた、
あの忘れ難い表情。


瞳を潤ませて、
抱きしめたくなるような、笑顔をした。

「泣いているの?フェイティシア。」


尋ねると、彼女は恥ずかしそうに、
泣きそうな笑顔で


「・・・うれしいんです。」

とつぶやいた。

そして、「おかえりなさいませ。エルゼリオ様。」

との、透き通った声に

彼は、

どの得がたい勲章よりも欲しかったものを
得た。



そう、思った。



エルゼリオは、顔を挙げる。

その瞳は、澄んで光を受けた。


・・・もし彼女が
祈り、待って、
変わらずに想っていてくれるのならば、
やり遂げられる。

いや、必ず。


やり遂げよう。



彼女の祈りがなくとも、それでもいい。


やり遂げて、再び彼女を見つめることができるならば。




不安も、そして苦痛も、
喜びも、
まだ、自分は明日に賭ける事ができる。


瞼の重さを感じ、唇の微かな乾きに、
一抹の不安を覚えても、
次の瞬間には、未来へ歩もうとする力、
自分の中に流れる圧倒的な力に、
もみ消されてしまう。



だが・・・

自分の意志に宿る力こそが、それを成し得る。



「お引き受けいたします。」




はっきりと、臆することなく答えた。



その新緑に輝く瞳に答え、
メルビルもまた、ゆっくりとうなずいた。




「・・・そうか。・・・では、フォーンデルを。」



「?」


こほん、と咳をして子爵は少し困ったように、エルゼリオへ視線を送る。
子爵の隣に控えていたフォーンデルは、
全くの仏頂面で、視線を落としたままでいた。



「・・・息子は、今だ武勲を持たない。
だが、今回の件にそれなりの功績を受けることができれば、
地位を与えてくださるとのことだった。


どうか、連れて行っては下さらぬか。

剣の腕前は相当なものだ。私が保証しよう。」


いまだ、ミルティリアでは地位の売買もなく、
国王に認められた者しか、貴族の称号を得られなかった。

基準は厳しく、たとえ貴族の養子である農民の子であっても、
その地位を継ぐことはないと、エルゼリオは聞いている。



「メルビル様。」



フォーンデルは心の中に抑圧していたものを、突然吐き出すように
子爵の名を呼んだ。

が、メルビルはそれを手で制す。


「受けて、くださるか?」



目の前の武将たる老人が、急に小さくなったように見えた。


「お受けいたします。メルビル子爵。」



エルゼリオは微笑み、しっかりとした語調で、了承した。
メルビルは、嬉しくもあり、そしてどこか寂しくもある微笑を、
立ち上がり握手を求める青年に向けた。



青年の握り返す手の力づよさは、
誓いの言葉よりも明確な強さで
メルビルの心を掴んていた。








「・・・ディム・レイのことは本当ですか。」


「ん?」


メルビルを残した部屋から出て、
二人の青年は始めて言葉を交わしたように、
少しぎこちない空気を味わっていた。

足音だけが、二人を結びつけるように、
冷たい石の廊下に
規則正しく響いていく。


「・・・ディム・レイのことは・・・」

「聞こえてる。」


エルゼリオは至極真面目に返答した。
が、次にはちょっと子供っぽい口調で


「だが、言えない。」


と答えた。
少しだけ、笑った口調で、である。


「・・・」


フォーンデルは、目の周りの筋肉が、「ぴくっ」と痙攣したのを感じた。

そもそも、横を歩くこの金髪は、
部屋を出た途端、突然あの威圧的な空気を消し、
殺気も闘志も感じられない。

貴族特有の、妙な高慢さもない。
本来、執事に接する貴族の態度といえば、
奇妙なほど卑下する視線であるとか、
些細な言葉遣い、語尾のイントネーションまで、
どこかに何かが出るものだ。



それもない。




ただ、そこに悠然と咲く花の麗しさのように、
存在していることが美しさであるような、
そんなたたずまいである。

金髪がさらさらと揺れて、
気まぐれに戯れる。


妙な焦燥を感じて、フォーンデルは思わず歯を食いしばった。


問題は、この男は全て持っているにもかかわらず、
全く何も持たない一市民を装うことが、できるのだ、
ということである。


自分には、地位すらない。



そう苦悩する彼は、自分の立場というものを、痛いほど理解している。
だが、どこかでこの地位に誇りを感じていた。



貴族であることが、全てではない。



だが、その地位が、今度の仕事如何では、
手に入る。
成功への期待。失敗への不安。


だが、自分とは違い目の前の男は、
本当にディム・レイにおける、最高の勲章、
あの武勲を勝ち得たのだろうか。


仮に、嘘だった場合、
この仕事は、厄介で役に立たない貴族のお守りをしながら、
行うことになるのか。




いや、厄介かどうかは、わからない・・・。




先ほどの会談におけるエルゼリオを見た限りでは、
異様なものを感じざるを得なかった。
確かに、自ら感じたことだ。

だが、それは真実なのだろうか。
偽りが、あったのか。
思わせぶりなのか・・・?


そして・・・


目の前を歩く貴族と、地位を持たない自分は、
一体どちらが強いのか。

もし、勝つことができたなら?
たった今、その答えがはっきりと出るのなら・・・。




行き場の無い、激しく揺れる感情。
それは、目の前を歩くエルゼリオに向けられている。


対するエルゼリオは、
背後に殺気を感じて、妙に心躍っている。

久方ぶりの、戦地に似た空気だ。





二人はそのまま沈黙し、長く広い廊下を渡った。

ところどころ、照明用の炎が、
艶やかに揺らめいている。

だが、窓の外から漏れる夜の青い空気は、
二人の姿をほぼ隠していた。







仕掛けたのはフォーンデルだった。






握る手の平に、剣の柄の硬さを感じるが否や、
剣を抜き、一瞬の攻防。



彼らの周囲にある、照明の炎は
瞬間かき消される。


剣同士の砕けるような音に加え、
軽い足音とかすかな息づかい。



そして、最後の一撃で、
互いの美しい衣服が、
闇の中で踊るように弧を描いて静止した。




フォーンデルの汗ばんだ首筋には、今しも触れそうな剣の切っ先がある。
エルゼリオの首筋にも、同等の距離の剣の切っ先があった。




「執事は暗殺がお好きかな?」




闇の中で、いたずらっぽい口調の言葉と
月の光に輝いた瞳の凶暴さが、
奇妙な違和感で、首筋に触れそうな切っ先を
訳も無く貫通させたように感じさせる。



だが、また楽しそうに微笑むと、
エルゼリオは剣をおさめ、ふたたび歩き出した。

フォーンデルは無言のままである。

が、彼の後を追った。


「・・・殺す気はありません。」


執事はエルゼリオの後ろで、いたって真面目に答えた。


「ん?」

「・・・殺す気は・・・わざと、聞いているのか?お前は。」


つい、敬語を忘れたことに、思わず反応したフォーンデルは、
失態を恥じる。
が、特に気にも留めずにエルゼリオは、


「聞いてる。当然。先に俺が殺してる。」


と答える。
まるで、子供のように意地を張った口調であった。
さらに、

「さっきの会談で、ご老体に精神的な鞭を打たれた身体での戦闘だ。
当然俺が先に、殺してるだろ。」

「・・・ご老体??」

そして、エルゼリオは「はーっ」と盛大にため息を吐くと、
額に手を当てて、「はやく帰って癒されたい・・・。」
だとか、
「フェイティシアの作った甘い薬が飲みたい・・・。」
「こう、ぎゅっと・・・あのくびれた腰を・・・」
だとか、よくわからない言葉をこぼし始めた。


なにやら、先ほどの戦闘に似合わぬ、
なんとも力無い様子である。

そしてついには、


「だいたい、お前の父親のあの威圧感は、只者じゃないぞ。
俺の父親だってあんなに常に、戦闘態勢で生活してるわけじゃない。
久々に疲れた。」

と愚痴り始めた。
思わずフォーンデルは面食らう。
まるで、ただの一青年、一兵士のような口ぶりではないか。

そんなことを言う割りには、
誰よりも戦闘態勢で、
しかも、あからさまに楽しんでいたのは
この男ではないか。



フォーンデルは、混乱しそうな頭で、
目の前の男の言葉を、
何とか聞き取ろうとしていた。

エルゼリオは、しばらく黙ってから
突然フォーンデルに振り返ると

「というわけで、俺の方が強い。
何が何でも、俺のほうだ。」

と、にこにこしながら、
はっきりとした口調で宣言した。
そのたたずまいたるや、
まるで根拠の無い想像を
真実にしてしまう、子供のような様子である。


そんな様子に、



「いや、俺だ。」


と思わず口が滑って、
フォーンデルは次の瞬間、奇妙な気分になった。


誰かに言い返す、などといった行為は、
執事という立場になってからも、したことはなかった。

この雰囲気・・・。

妙に自分の中の、子供っぽい部分を刺激されるような、
そんな様子。


フォーンデルは呆然として、
苦々しい表情で眉をひそめる。



この男といると、どうも調子が狂う。

しかし、当のエルゼリオは気にも留めず


「・・・俺の剣の方がお前のよりは短かったぞ。」


などと子供っぽく言い返してくるから、さらにたちが悪い。

何を言っているんだと返答してしまうフォーンデルは、
すでにどこか自分の思い通りにならない運びを、
奇妙に受け入れていた。



もう、これはどうしようもない。



少し苦い笑いを堪えて、
フォーンデルはため息混じりのため息を吐く。



「剣の長さは変わらん。見せてみろ。」


「どうかな、ほら。」




エルゼリオは笑って、持っていた剣を軽々投げて、フォーンデルに渡した。

長さは同等である。

だが、それ以上にその剣の装飾が、目を引いた。

剣の柄に添えられた紋章は、
どこかで目にしたものだ。


本、書棚の・・・ミルティリアの血脈系図にはない紋章だ。
この王国のものではない。
次の項だった。

ディム・レイのものだ。
たしか王族の・・・。


そこまで思い出し、フォーンデルは思わず息を呑んだ。






アデーリア勲章!








エルゼリオは、その様子を見守ってから、
少しおどけて言ってみせた。


屈託のない笑顔。そして、燃えるような新緑の瞳は、
再びあの威圧感を放っている。


「『もらいもの』だ。なかなか『重い』だろ?」


では、やはり・・・。

フォーンデルは大きく息を吸って、
そしてため息をついた後、つい尋ねた。




「・・・『もう一つの証』は?」





フォーンデルが剣を正確に投げ返すと、
「もう一つ?」とエルゼリオは首を傾げて見せた。

ふたたび歩き出す。




それからエルゼリオは、ひどく嫌そうに、


「双つの勲章は、一人である持ち主に帰るんだそうだ。
双方そろってこそ、存在が認められ、価値を発揮するものらしい。」


と答えた。

後姿から表情は見えなかったものの、口調は
もう一つの勲章の存在を、
拒否するような感情を含んでいた。


何を言っているのか解らないフォーンデルは、
再びため息をつくことになる。





・・・この男は、どうもよくわからない。






だが、それもこれから次第に理解することになるのだろう。

例の仕事について、早速段取りを話し始めたエルゼリオに、
眉間に皺を寄せたまま
フォーンデルは歩き始めていた。







エルゼリオがメルビル領へ向かったその日の朝、
フェイティシアはライジアと、部屋の掃除を行っていた。


ライジアは、今日に限りフェイティシアの顔色が優れないことを
ちらちらと仕事の合間を縫って、
覗き見ながら気にかけている。


あの肌の色は、尋常ではない。


以前風邪を引いたときよりも、もっと別の、
さらに儚さを引き出すような、白さだ。

いつにもまして、輝くようなさらりと指どおりのよい髪に、
大きくて潤んだ瞳と肌は、とても柔らかそうだ。
けれども、少し寂しげに眉をひそめる様子と、
時々漏れるため息が、
ライジアを不安にさせる。

部屋の空気も、澄みすぎた水のような青さに感じる。


・・・ナイルさまにご報告しようかしら・・・。


おっちょこちょいなライジアにとって、
召使い総取締り役のナイルは天敵であり、
当然目をつけられている。

あの高価な過敏をいとも容易く粉々に破壊しないか、
といったような心配を、常にされている。

むしろ、
「アナタが粉々になればいいんじゃないの?ライジア。(笑)」
くらい言われているかもしれない。


考えただけでぞっとしたライジアは、しかし、
同じ「フェイティシア様熱望症」を患う仲間として、
今のフェイティシアの様子をほおって置けないと思うのだった。

ナイル様が見たら、きっと蒼白になり


「だめよ、フェイティシア!!
一年はベッドに横になっていなくちゃ!!
(ほんとは一生ベッドの側で看病しなきゃ!)」


な状態なのである。



ライジアは箒を抱えると、
切ない表情で物思いにふけっている
窓際のフェイティシアに、駆け寄った。


「・・・フェイティシアさま、お加減、大丈夫ですかっ?」

ちょっと声をかけるにも、ライジアはいつも緊張している。

それは、フェイティシアの周囲があまりにも麗しく
彼女を中心とした、一つの芸術作品のように思えてくるからである。


そんな中に、自分の声を入れてしまうだけでも、
何か秩序が乱されるような、危機感を感じてしまうのだった。


しかし、返事が無い。


いよいよもって、危険な状態である。
ライジアは眼を見開き、息を止めて箒を握る力を強めた。


いつもならば、とろけそうな素晴らしい笑顔で


「どうしたの?ライジア。」



と呼びかけてくれるのだ。
もうそれだけでも、嬉しすぎて動機と息が止まってしまう。
足の筋肉など緩みっぱなしで、
ちょっと立ってはいられないくらいになる。


しかし、フェイティシアは窓の外のどこかを見つめたままであった。


少したってから、「・・ライジア?」
と微笑んだ。
しかし、その微笑みもどこか柔らかく散る間際の花のような、
どこか耐えた笑顔である。

ライジアはその麗しさに、思わず赤面しそうになったが、
同時に混乱した。

何に?
どうして??



「・・・フェイティシアさま?」


そう呼びかけて思わず、フェイティシアの柔らかい頬に手を触れようとしたとき、
突然何の前触れも無く、
目の前の麗しいひとの瞳から、大粒の涙がこぼれた。

「!!」



今までこれほど美しく凄惨なものを、果たして見たことがあるのだろうか。


思いつくものを、ライジアは頭の中で探していた。

フェイティシアさまと行った時に、街の空で見た虹?
フェイティシアさまと行った森で見た、青い鳥?
フェイティシアさまと行った海辺で見た、異国の舟の白い帆?
フェイティシアさまの・・・・


ああ〜、全部フェイティシアさまがいないと
綺麗に思えなかった全ての景色??




じゃあ、フェイティシアさまがいなければ意味が無いじゃない!!




ライジアの中で、フェイティシアとの思い出が走馬灯のように駆け巡り、
呆然として視線は中をさ迷った。

全く無い。
どうにもこうにも、見つからない。
・・・
これは・・・大変なことだ!!!


ライジアは、今までに無く緊張して言葉を失った。


笑顔は消え、ガタガタと震え出したフェイティシアは、
「ごめんなさい。」と何度も謝って
そっと、ライジアの肩にその顔をうずめる。
彼女の腕が、ちいさなライジアの身体を抱いて、
やわらかく豊かな胸が、彼女の少し小ぶりな胸に押し付けられた。


やんわりと、甘い香りはそのままだ。
しっとりとした白い肌や、装飾されたような流れる髪。
豊かな温かさを持つ身体。


それがすぐそばにあり、ライジアは思わず赤面すると、
はっと気付いて、ゆっくりと彼女の背中へ腕を回した。


こんなに素晴らしいひとを泣かせる何かって・・・。
もしかしてあの・・・!!!


ライジアは、例の金髪領主を思い出した。


しかし、彼女の様子を見るに
どうもそうではない気がしていた。



何か別の、もっと重大なことが
この小さく泣き崩れている麗しいひとに、起こっているのだと、
そう感じずにはいられなかった。










「来たわね、ついに。」




洗濯釜の湯気の中で、ナイルは憂鬱そうに煙を吹いた。
紅色に塗られた綺麗な唇から、
白い煙が生き物のように流れ、
空中で分散していく。


それを眺めながら、物思いにふけったナイルは、
「ちょっとナイル、ここで煙草はやめてくれないかい。」
と洗濯おばさんの注意を聞く気にもなれない。



「まさか、そんなことがあるなんて、ねえ。」


と、街からつれてきた大酒のみ
(現在も窘められつつ時々飲んでいる)である女、
「酒飲みのララ」は、
以前に比べすっかり健康的な肌で、厚化粧も派手な服も控え、
収穫した木の実をわんさと抱え、
一つずつ口にほおり込みながらつぶやいた。

ライジアは、ことの始終を
つたなく頼りなげに話すフェイティシアから聴き、
後頭部を三回くらい殴られた衝撃を
受け終えたところである。


ララは、突然飛び込んできた衝撃の話題について、
楽しそうな、しかし複雑な話口調である。


「そりゃあ、ここにきたときはびっくりもしたわよ?
あの金髪兄さんが領主さま、
その美人・・・いえ訂正。完全に女神さまが召使い。

しかも、あの領主様はあきらかに女神さまを・・・。」

「・・・そんなことはないわよ!!っていうか、許さないわよ!!!」

と、ナイルとライジアが声をそろえての怒号に、
思わずララは耳をふさいだ。


しかし、二人が微妙に声を小さくしているのは、
そばに憂鬱な表情で空を眺めるフェイティシアがいるからだった。


彼女は、何か妖精の抜け殻のようなたたずまいである。

どこへ行っても、この世のものではないようだが、
今日さらに「その感じ」が増したのは、
彼女の身に起こった問題のせいなのである。


そんなフェイティシアの様子を眺めるにあたり、
一刻も早くこちらの世界に連れ戻さねば・・・
と真剣に思うライジアとナイルだった。



早速三人は、仕事を放棄し目下最も重要な話題と、
難問に向けての検討会議を始めている。


それにしても
「・・・アルデリアに許婚がいたなんて、初めて聞きます。」
と小声でライジア。

それとともに、果たしてフェイティシアを許婚にするなどという、
無礼な不届き者の男の顔が見て見たい、
という憤りも漏らす勢いである。

これで、この領地のあの領主よりも無学で、阿呆で
強くなくて、頼りなくて、女たらしだったらどうしようか。



・・・それでも、フェイティシアさまは憐憫深い心から、
ひょんな結婚するというかもしれない!!




ライジアは、彼女の人の良いところが、
そんな選択に出て欲しくない・・・と真剣に思った。




もし出たら、私、止めます!!



と、自然と宣誓しこぶしを握りそうな勢いである。
むしろ、このこぶしでその許婚とやらを殴りたい。


「・・・だめです。許せません。・・・ナイル様は知っておられましたか?」

ライジアは、戦闘態勢、準備万端といった風情で
ナイルに加勢を求めん!とばかりに問いかけた。


しかし、そんなことは知っていたわよと、鋭い視線をナイルは送る。

ナイルの意外にも冷静なたたずまいに、
少し意外だ、と思えてくるライジアは、
すねるように唇を尖らせた。

「じゃ、じゃあなんで早く言ってくださらなかったんですか!」

そういえば、フェイティシアさまにも、はじめて告白されたんだ。

と、ライジアは嬉しい反面、複雑な気分である。

ナイルは、
「その話題はね、絶対言っちゃあいけない決まりで、
サハシュ信仰の山僧の間では有名だったのよ。」

と、眉間に皺を寄せ、「それでもいつかは、言わなきゃならないことだった」
と付け加えた。

「??なんでサハシュの山僧が関わるんですが?
フェイティシアさまの血筋の問題か何かで?」

「そうよ。山に篭ってるおっさんには関係ないじゃない〜。
いくらフェイティシアさんが美人だからって。」

ライジアとララの二重奏には、多少手を焼くナイルである。
思わずこめかみに指をあてた。


「・・・いい?まず執事でフェイティシアの伯父にあたるロイド様は、
山岳民で信仰の棟梁なの。
これはみんな知ってるでしょ?」

「うんうん。」


「ミルティリアにおけるサハシュ信仰の、
そうね。一番濃い部分を担っている人物の一人というわけ。

だから、そうね、実はこの領地で執事をしていても、
国の動向には気を配っているわ。
まあ、国王を取り巻く信仰とはまた別だけど、

信仰から宗教に発展しそうな国じゃないから、なおさらね。

うちの国は割と信仰には浅かったりするでしょ?
新しい国王とかも、かなり新しもの好きらしいし。」


「へー。」
「そうなんだ。」


本来、農民に近くなるほど中央および国や領地の動向、
特に政治的な問題には疎くなる。

男性であれば、仕事上必要となる世情への知識も、
女性、しかも召使いであり、
さらに興味が無ければなおさらだ。

二人の返答には、さらに手を焼きそうな予感のするナイルである。



「ロイド様は、濃いサハシュ信仰で守られたフィオナ山脈と
そこに住まう山岳民は必ず守る覚悟でいらっしゃるの。
どんな方法を用いてもね。

・・・おそらく・・・。」


ナイルは一人、
「あの馬鹿は、自分の行動を悟られたってことに気付いているのかしら」
と心の中でつぶやいていた。

あの馬鹿、とは
エルゼリオのことである。

悟られた、とは
執事が動き出したということだ。




エルゼリオは、おそらく
ことの重大さをわかっていない。





領主が全てを理解している。
それは理想だが、現実は違う。
領主の思惑意外で、もっと重要なことが進む場合もある。


ただ、それがほんの間近にあるというだけで、
見慣れているだけの価値だと思ったら
大間違いだ。


もっと、それぞれが重要なことを担っている場合もある。


ナイルは思う。

彼は、「子供」のままではないだろうか?と。
それはいい。
「子供」であることも、「大人」には時には必要だ。

だが、それが
「探し出す」ことを目的とするとき、
特に、
「価値の見出されていない何か、」を探し出すとき。
子供のような「宝探し」だけでは、
駄目なのだ。




世界は単純ではない。




特に、それが「今まで見出されない価値」、
「隠されてきた価値」の場合にはなおさらである。

なぜなら、それには基準がない。
定まっていないのだ。
空気を読む、というような万人、
あるいは周辺の人々の行為に値する基準自体が・・・。


もし、その価値が
ある一部の人々にとっては屑であっても、
他の人々にとっては「何者にも変え難いもの」であるとすれば?


「子供」は時々、思いもよらない価値あるものを
突然屑に変えてしまう。
しかも、自分が理解し得ない範囲の価値あるものを・・・。


だからたちが悪い。



しかし、もしそれが良い方向へ運ぶのならば、
あるいは「運べるのならば」
「子供」は「大人」になることができる。


価値を探し出し、高めることのできる人間として、
存在できるだろう。


だが、網目のような世界の気配から
彼は「価値あるもの」を
探し出せるのだろうか?

あるいは、見つけ、奪おうとする者から守り、
そして永遠に忠誠を誓うことができるだろうか。


「あの馬鹿は・・・まだ子供じゃないでしょうね」

とのナイルのつぶやきは、周りの人々にはささやか過ぎて聞こえていない。

うかうかしていると、彼は失ってしまうだろう。
そうなれば、あとはもう見失うばかりになる。
いや、むしろ手の届かない場所へ行ってしまうだろう。


ナイルはため息をついて、窓のそばで遠くを見つめる
麗しいフェイティシアを眺めた。

今のところ、「あの馬鹿」が一番頼りになりそうだから、
そう思わずにはいられないのだ。
特に、今まで見てきたナイル自身とフェイティシアの関係、
フェイティシアの今後のことも重々考慮したうえで。


「・・・もしかしたら、最悪、また戦争が起こるのかもしれない。」


「はあああ?」



フェイティシアの許婚の話から、突然国家規模の問題が提示され、
会議は混乱のさなかである。

ライジアは白目をむき蒼白となり、
ララはむしろ何故か「やるか〜!?」とお祭り的な乗り気である。

「なっ、なんでそんな大きな話になってるんですかっ!!
そうじゃなくて、フェイティシア様の婚約者の問題が〜。」

「馬鹿どもにやらせて全部消しちまえー!
私はその間、南の国にバカンスに行ってやる!!」

当然ヤジめいた冗談だったが、ララの口調に
思わず怒号したナイルだった。

「その婚約者は、アルデリアにいるのよ?
あの国は・・・!!!」


思わず語気を荒げたナイルに、ララとライジアは硬直する。



ただ事ではない。





そんな熱気に、思わず息を呑むライジアとララである。

ナイルは・・・

半ば彼女の中で固まっている確信に、呆然としつつ
ただ悲壮な、そして悲痛な表情のまま、呟くしかなかった。

「アルデリアはね、二十五年前に『裏切られた』過去を持つ国よ。
『約束された女神』を奪い去られたの。
そして、その怒りで一つの国を滅ぼした。

このミルティリア大陸の聖地、
フィオナ山脈の一角、エルフ・レ・フェウスをね。

唯一の穢れ無き聖地。神話の時代より語り継がれた歴史を、
あの国は私怨で一挙に粉砕してしまった。

政治力も、軍事力もお陰でどれだけ高まっているのか、
今は静かだけど、
暴走すれば他の国々も唯ではすまない。


そしてその国の文化も、歴史も、信仰も、
人々も・・・・。



そんな国へ、フェイティシアは行かなければならないのよ。
婚約者がどれだけの男だって、
・・・でも・・・ロイド様はたぶん・・・。」


サハシュの信仰を色濃く持つロイドについては、
同じくナイルも彼の意思を理解していた。


そして、相談されもしていた。


いや、相談ではない。



ある種の、密約だった。


だが、それをこの領地の領主、あるいはフェイティシアにすら
言うことはできない。



今は、まだ・・・。



深い思惑を含んだ視線を、
ナイルは物思いにふける
窓際のフェイティシアへ向けていた。


彼女の選ばねばならない道が、一つでないことを祈り
そして、
彼女自身が選ぶ道が
彼女をこの平和な生活から、分かつものでないことを願いながら・・・。




へつづく



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