「秋のある日の夜」


その日、新たな爵位を継承したある城の若い主人が館へ帰ってきた。

彼の叔母が遺産として残した城が、あらたに彼の資産の一部になったことは、
この館に仕え、彼を三歳のころから見てきた召使いの彼女には、
すこしの不安を覚えさせる。

あんなにちいさかったのに・・・。

と彼女は、彼の昔の面影をおわずにはいられない。
夏には小さい手で、虫をつかまえてはわざわざ見せに来る少年の姿・・。
冬には、眠くてたまらない目をこすって、ベッドからなかなか起き上がろうとしなかった彼。
けれど目の前にいるのは・・・
いつのまにか美しい青年になってしまった若い館の主人。
髪はこぼれる純金に似て、けっしていやらしい艶を放たず・・・。
緑眼は夏の新緑のように清々しく・・・けれど深くやさしい輝きをはなつ。

どうしようもない戸惑いが、「あの日」からつづいている。

秋の夜風が、かたかたと彼の部屋の窓をふるえさせるように、小刻みに
彼女は彼を前にして震えている。
動揺を隠そうとして目をそらす彼女の動作をみて
目の前の彼は、むしろ好ましく思った。
本来なら、拒絶される印象を持つこのしぐさも、
彼と彼を育ててきた彼女にとっては、普通はあくまで
「絶対に見守らねばならない召使いと、見守られなければならない主人」
としての関係だからだ。
そこから視線をそらす行為は、彼にとっては次のステップをふむことに等しかった。

「見守るだけの召使いが、主人の存在をより意識して、目をそらす」

目下彼の好奇心は、彼女がどれだけ自分のことを意識してくれているか、だけなのだ。
もちろん、主人としてではなく、恋愛対象として。

彼女の全身をなめるようにひとしきり見つめた後で、彼は
「むこうでは、そんな服を着ている女をよくみたよ。・・・やっぱり似合うね。」
と言って微笑んだ。
「あの、ご主人さま・・・。このような特別な待遇は・・・他の召使いの方々に。」
「あ、だいじょぶ。ちゃんと他の召使いには別なお土産を買ってきたから。」
妙に気を使う性格ではないのだけれど、この主人は子供のころからとても人懐っこかった。
わざわざ召使いに、旅行へ行くたびに何か買ってくる主人も珍しい。
「まさか、他の方にもこの服を?」
「え?執事にもこの服着せて奉公させるって?やらせてみる?」
くすくす笑って、やりかねないいたずらっぽい笑みをみせると、
彼は早速寝台に横になった。

「お疲れでしょう。すこし・・・眠られては?」
「こっちきて、ここにすわって。」
右手で前髪をかきあげながら、左手でとなりの空いているスペースをぽんぽんと叩く。
彼女は一瞬とまどって、困った表情を見せた。
「でも・・・。」
と、かすかに拒否しようとすると、彼の視線が絡みつく。
「・・・俺がいないあいだに、なんかつめたくなった・・・?」
と、妙な脅しをしてくるので、長年彼を育ててずっとそばにいた彼女にとっては、
「嫌われたくない」と無意識がゆれうごくのだろうか・・・。
しずかに足をはこんで、寝台の上にひざをついた。

姑息な手段をつかったかなと彼は一瞬思ったが、次の瞬間には
昔から変わらず若くて美しい彼女に心をうばわれた。
なぜ、こんなにも彼女は変わらず美しいのか。
子供のころから、その笑顔のまぶしさにいつも心ひかれていた。
どんな手段を使ってもかまわない。
彼女の心をつかむためなら、
いや
彼女の心とはいわない。
次のなにか。それがほしい。
そういつも、思わせるだけの彼女の魅力が彼をおかしくさせる。

いつでも、どうにか平常に振舞おうとおもって・・・。
かすかに彼女が視界の隅にはいるだけでも、狂いそうになるのに・・・。

「すごく、にあう。」
抱きしめられるほどそばに彼女の体があって、彼はその手を動かせない。
彼女もまた、これほど近くにいる主人を意識して、罪の意識にさいなまれる。

あの日・・・。

彼が彼女に告白した言葉。
堂々と視線を合わせて、心から訴えた
彼のうちに秘めた思いをしって、彼女は
この屋敷につかえる召使いとしての忠誠心から
逃げるように答えをはぐらかした。

掴まれる腕。
引き寄せられた体が、身の危険を感じて
彼女は
今にして思えば奇妙なウソをついた。

「私の体は、そのような扱いには耐えられません。」

死ぬ、とまではいわなかったものを、
こんなその場限りのウソがいつまでもつのか・・・。
彼女の心はいつも、彼を目の前にすると
ウソを知ったあと、以前に比べて数段扱いがやさしくなって
本気で心配してくれた彼に対し
ただ後ろめたく、逃げ出したくなってしまう。
彼もまた、その言葉の真意を確かめる方法がなくて
それは、彼女が自分にウソをつくような人間ではないと、
小さいころから信じてきたこともあって、
どうしていいかわからなくなる。
本当は昔から、その体をかき抱くことを、何回も夢見ていた。

これほどまでにそばにいるのに・・・。

強く、壊してしまいたいほど抱きしめたいのに・・・。


「あの、これ・・どうぞ。今年この領地からとれたダリアの実です。今年は豊作で・・・。」
彼の強い視線を避けるように、彼女は話題でそらそうとする。
銀器に盛られた果実を、彼はちらりと盗み見た。
彼女は召使いとしてもすぐれていたが、この家の領地を気の遠くなるほど長い間
守ってきた一族でもある。
だからこそ、彼女はこの領地の農園すべてを仕切るだけの力があった。
嬉しそうに果実を見つめる彼女に、彼は小さな嫉妬を覚える。

自分よりも愛されている、この領地に・・・。

彼はすこし俯いて、気持ちを切り替えるようにそばにあった小さな果実を2,3みつくろって
ほおりこむように口に運んだ。
「ほら、くちあけて。」
手に余ったその果実を彼女の口へ運ぶ。
すこし困った顔をして、彼女はかわいい口を申し訳なさそうにひらいた。
彼は思わず笑みをこぼす。
彼女の吐息が近づける指にふれ、そばに感じる懐かしい香りは少年だったあのころと変わることなく
甘く、やさしい。
「あ・・・。」
「ああ、落ちちゃった。ダメだな・・・ちゃんと口に入れないと。」
そういった瞬間、無意識に彼の指が彼女の唇に触れた。

互いに鼓動が高まる。

一瞬、全身を硬直させた彼は強い波に押されるように、歯止めが利かなくなりそうになって
右手で彼女の髪に触れた。

引き寄せたい。

そして、思ったとおりに彼女の後頭部をやさしく抱えると、
長いまつげがどのくらいあるのかわかるくらい近くに、彼女を引き寄せた。
左手は、ゆっくりと彼女の唇をなぞる。
なんどもなんども、くりかえしその感触をたしかめる。
「あ・・。」
逆らえなくて、彼女はされるがまま、目を伏せた。
彼の指が、なにかをねだるように何回もくりかえし唇にふれるのを、
彼女はかすかなおののきと不安、そしてどこかに期待をしている自分を恥じる。

「ねえ。」
と問いかける彼の声も、かすかなはずなのに
まじかで聞く彼女には、恐ろしいほど優しく、切なく、
吐息にまじって、どうしようもなく官能的に聞こえる。
いつからこんなに、深く包み込むような声になってしまったのか。
目の前にいるのは、あのころの少年ではないのか。
目をあわせて確かめる勇気が、彼女にはない。
「ほんとうに?」

ほんとうに、俺は抱けないの?

そう聞いていることを直感した彼女は、答えを引き伸ばすためあえて問う。
「何が・・・ですか?」
それは、一時でもこうしていたいと思う彼女の心のそこの現われなのか、
質問をはぐらかしたいだけなのか、彼女ですら理解できなくなる。

なぜここまでそばにあるのに、唇の感触を指で感じることしかできないのか・・。

「抱けないの?」
「・・・はい。」

ウソをついたときから、彼女はつきとおすことを心に決めた。
だからいつでも、迷わずそう答える。
迷わず・・・。
たとえ、その瞬間どれほど胸がしめつけられようとも・・・。
指の動きを止め、彼女の答えに彼は微動だにしない。
微笑んでいても、口をつぐんで、すこし苦しそうにしている表情を
彼女はちらりと盗み見て、まじかで目にした。

「やさしくしても?」
「!!」

具体的な言葉に、思わず彼女の体がふるえる。
その同様を、右手に感じて彼は思わず嬉しくなった。

「やさしくする。」

もう一度、今度は耳元で囁いて。
軽く舌を真っ赤にそまった耳に這わせると、彼女の体の力がぬけていくのがわかった。
「だめ・・・。」
力ない声が、必死で何かを抑えているように聞こえて、
彼は彼女をもっとたかぶらせたくて、
そっと白い首筋に舌を這わせる。
優しい愛撫が、心を溶かしてどこかへ流してしまいそうになる。
「ほら、落ちた果実をひろわないと・・・。」
そう言って、彼女の胸のあたりに転がっている2,3の果実を
ゆっくりと焦らしながら指先でふれて追っていく。
彼の手がやわらかな彼女の胸を覆う、深紅の服をそっと割って・・・

「いやっ!」

思い切って彼の胸を、彼女はうでて突き放した。
「こんなこと・・・いけません。」
そういう彼女の顔は赤く、目はうるんでいる。
「じゃあ、どこまでならいい?」
我に返って、すこし情けなく笑った彼の表情は、再びどうしようもない関係にもどることを
悲観している。
「ぜんぶだめですっ!」
むきになって断言する彼女の困った表情がかわいくて、
思わず噴出すと、すこしだけこの場が和んだ気がした。
「俺には切実な問題なんだけど・・・。」
「が、がまんしてください。」
「・・・たまっちゃうから。」
「!!」
ぬけぬけといって、おくゆかしい彼女の過剰な反応を楽しむ。

「・・・もう眠るよ。そばに、いてくれる?」
くすくすわらって、彼はすこし甘えるように彼女にねだる。
こういうときに、いままでの関係を利用できて彼は嬉しく思うが
対する彼女はどうしていいかわからなくなってしまう。

むかしのままの、少年のままの彼か・・・。
それとも、もう大人になってしまった彼か・・・。
いずれ彼女は、どちらかを選ばねばならないだろう。
そしてまた、彼も・・・。


二人の秋の夜は、ゆっくりと更けていく。

おわり









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