「瞳に映るもの1」





全ての瞳は、
自ずとその瞳の持ち主が
意識しているものに、反応する。

好色なものは、群衆の中から女を見つけだし、
怯えるものは、視界から人を締め出す。

その男が見ているもの。

それは、人の動き、だった。

そして、自分の周りの環境に対する、的確な把握である。
彼はときどきそれを、「見る」と言っていた。

大抵の人間は「見る」といえば、瞳で行う行為をさす。
しかし、彼の場合、「見る」は空気の温度も範囲に入っていた。

男は常に、自分の筋肉が意思と寸分違わず動く訓練を、怠らない。
一瞬という時間すら、相手に与えることはない。
そして、どのように身体を動かせば、最速かつ最良、
もっとも少ないエネルギーの消費量で、
相手を倒せるか。
常に計算しているし、彼の日常でもあった。

とくに戦場では。

しかし、現在停戦状態である彼の愛すべき国家と、
人に常に迫り来る「老い」という敵には、
いささか分の悪い戦いを挑むしかない現在である。

メルビル子爵。

彼は現在齢68にして、おそらく現役の兵士5,6人の戦力を持つ
強靭な男であった。

太い眉は、多少白髪交じりとはいえ、強い意志の力を現している。
眉間に常によっている皺は、おそらく若い者達を怖がらせるだろう。
扱いにくそうな人間であることに、間違いはない。
口ひげと顎鬚が、さらに威厳を増し彼の重たい口を隠している。
さらに、豪奢な装飾と多くの勲章で胸を飾り立て、
彼がいうには「しちめんどくさい」という、
功績を示すおかざりも、
相手を威圧するには十分な代物である。

威圧する気は毛頭ないのだが・・・。


彼の城は、持ち主の雰囲気に似て、重い。
どっしりとした硬い石をふんだんに使用し、丁寧に積み上げられ、
荒々しく削られている。

奥方いわく、「女性にはなんら興味の湧かない城」である。
ちなみに奥方は気にしていないが、装飾というものがほとんど皆無に等しい、
舞踏会を開いたところで、集まるのは国中の猛者だけであろう、
と思わせる。
しかし、そのお陰でまだ一度たりとも、陥落したことのない城でもあった。

そんな粗暴かつ豪胆な城に、夕方近く
一台の馬車が到着した。

中から金髪の青年が現れるのを、
目を細めてメルビルは、二階にある自室の窓の片隅から見守る。

彼の動きを、あの舞踏会の日にメルビルは、
とても興味深く観察していた。


若くありながら、どこか空ろな雰囲気を持っている青年である。


存在感はあるのだが、同時にその場に溶け込んでしまうこともできる。
華やかだが、とても静かだ。

たとえるならば、華やかに燃える炎は色も華麗である。
しかし、より強い熱を持つ炎が蒼い静寂を含んでいるように、
彼の雰囲気はどこか、おそらく闇にすら溶け込めるだろう、
不思議な感覚を、時々見るものに与える。

彼はおそらく意図していないだろう。
しかし、ときどきそれがこぼれるのを、
メルビルは、青年の動きの中に見出していた。


窓から覗いていたメルビルの思惑通り、
青年は馬車から降りてすぐに、少し上を見上げると、
的確にメルビルの居場所と視線をとらえ、
軽く会釈をした。
メルビルの視線を感じたらしい。

常に周囲のものをとらえ、判断している。

・・・さすがは・・・。
と、メルビルは密かに舌を巻いた。

青年の父親は現在、この国の土地を息子に譲り、
隣国であるとともに、貿易に関しても青年の土地と協定を結んでいる、
ディム・レイ国に公爵領を持つ男だった。

メルビルとも、戦地で知った仲であり、功績を奪い合ったライバルでもある。


・・・ディム・レイといえば、近年のあの戦・・・。


メルビルは、一兵士として他国同士の戦争にも大いに興味を持ち、
逐一情報を取り寄せては、戦況を読んでいた。
勿論、かつての戦友がミルティリアから、ディム・レイの領地を治めることとなり、
おそらくディム・レイの戦場でも活躍するであろう、
という予想を踏まえ、密かに楽しんでいたふしもある。

しかし、戦友はディム・レイと、極北の地であるサザランドとの戦には
兵を出すことはあっても、指揮をとることはなかった。
勿論、戦地に赴いた記録も見られなかった。


ただ、奇妙な噂はあった。


「記録されない動き」があったことである。

それは、「誰だかわからぬ存在」がその戦に関わり、
結果的にディム・レイに優良な結果をもたらすこととなった、
という情報であった。

そこからは、メルビルの想像の域を出ない。

だが、おおよその見当はついている。



・・・若ければ、自ら戦場に赴いて確かめることもできるものを・・・。


しかし、自国ミルティリアが停戦状態にある今、
老いのために兵士として引退同然と噂され
先の戦による功績という地位が、かえって彼を縛っていることを、
メルビルは深く悩んでいた。

さらに、ライバルの息子という存在にすら、しばし圧倒されていることを、
彼自身は少し、寂しい思いでいる。

もし、自分にも息子が生まれたなら・・・。

と、子供がいない彼は、思わずにはいられない。
いずれ尽きる命であっても、息子が好敵手の息子とともに
再び自分達と同じように、ライバルとなり、親友となることを、
彼はしばし夢見ていた。

「・・・おつきになられましたが、いかがいたしましょう。」

と、ふと背後から声がし、メルビルははっと身を震わせた。
すっかり思いに気をとられ、近寄った執事の青年に気づかなかったのである。

執事、そして養子のように育ててきた青年、フォーンデルは、
いつにない冷静な瞳で、この気難しそうな老人の前で
命令を待っていた。
表情の乏しいこの青年もまた、戦地ではおそらく
かつての自分と同じく多大な功績を残すだろう、剣の使い手である。

「・・・行こう。」

老人はふと、青年を見つめてめずらしい笑みをこぼした。
「なにか?」
と、青年は問うたが、メルビルはそれきり、彼に背を向けて
笑みの理由を話したりはしなかった。

ただ、前を行くこのかつての猛者が、一瞬
少しはかなく見えたことを、フォーンデルは静かに見据えていた。

・・・時は過ぎ、子はいずれ老いた我を越す、か。

メルビルの笑みは、しばらく軽い寂しさをともなって
そこにとどまっていた。







「お久しぶりです。子爵。」

部屋へ入ってきたとたん、
目に飛び込んでくるこの青年の艶やかさは、
纏った盛装以上に、
彼の持つ特有の気配のためであると、
メルビルは感じ取った。

まるで、この部屋の主は彼ではないかとすら、
錯覚させる。

すっかり周囲に溶け込んでいる彼、エルゼリオは
控えめな微笑みを見せた。
椅子に座りながら、エルゼリオにもそれを促し、二人は円形のテーブルを挟み
皮がしっかりと張られた椅子へ腰掛けた。

すらりと伸びた、姿勢の良い長身に
緋色の華やかな盛装の胸には、
勲章はまだついていない。

停戦したこの国では、彼はまだ功績をおさめていないためだ。

「なかなか盛装がお似合いでいらっしゃるな。
若いとは、何にも増して華やかなものらしい。

ようこそ、我が城へおいで下された。

貴君とは数日以来だが、お父上とは戦友の仲。
何やら昔から知っているような気が、しないでもない。」


「私は父似ではないとよく言われるのです。メルビル殿。」


エルゼリオは微笑みながら、自分の顎の辺りを指でなでた。

大抵、貴族の間では
「お父上に似ていらっしゃる」などというのが、
軽い礼儀の一部に入ったりする。

特に「お父上」が、大変な功績を持っていればなおさら、
人々はその子供にも、同様のものを求めたりする。

しかし、メルビルにとっては、そんなことはどうでもよかった。

たとえ周りがなんと言おうが、戦友オーデリオと
目の前にいるエルゼリオが似ているかというと、
まったくと言っていいほど、エルゼリオのほうが柔らかい物腰をもっていた。


冴えた美しさ、といってもいい。


メルビルの知っているエルゼリオの父は、
ごつごつした感じの筋力と大雑把な知識を持っており、
妙にカンの冴えている男だった。

「かといって母似でもないようで・・・、お前は一体どこの子供だ、
などと両親にすら疑われています。」

そう言うエルゼリオの渇いた笑みに、メルビルは奇妙な親近感を覚えていた。

「まあ、率直に言って私もご両親と同様の考えですな。」

と、メルビルも微笑む。

「そうですか。それは困った。」

と返答し、ふわりと微笑んだエルゼリオは、しばしメルビルの姿を見つめていた。

老いながらここまで筋肉を鍛えている男は、
自分の父と目の前の彼以外には、そうそういるものではない。


父、オーデリオは武器は何でも無難にこなすが
メルビルは剣の名手と噂された男である。
そしてまた、ミルティリア王国一との噂もあり、
兵士を夢見る子供達の、憧れでもあった。

勿論、エルゼリオもその噂を子供のころ、耳にしたことは有る。
だからこそ、そばにいると、否応無く血が騒ぐものだ。


自然に緩んできそうな顔の筋肉を意識して、
照れたように俯くとエルゼリオはひとつ、咳をした。
そして、次に顔を上げたときには、
まるで子供のように瞳を輝かせていた。


「・・・いえ、子供心に憧れた剣の使い手の前にいるというのは、
何やら全身がざわめいてしまいまして・・・。

ご用件をお聞き次第、一つ、戦の仕方でもご教授いただきたいくらいです。」

そう夢のように語る目の前の若者に、
思わずメルビルは面食らった。

幾分当てが外れたような気分にもなる。



・・・妙な男だ。



と思わずにはいられない。

そして同時に、何故か頬から首筋の辺りが
ぴりぴりと痺れるような、感覚を覚えた。

しかし、瞬時に冷静を取り戻した老人は、目を細めると
射るような視線を、目の前の若者に向ける。


「・・・いや、私はすでに現役も退くなどと噂をされているくらいですからな。
聞いても大したことは、ご教授できますまい。

ならば、現在の戦などを読んでいたほうが、随分と多くを学べると思いますが?
例えば、近年の
「ディム・レイとサザランド」での戦であるとか・・・。」

「ディム・レイとサザランド」という言葉を強調し、メルビルは
静かにエルゼリオの反応を見た。

若者は、「ああ。」と微笑んで、

「歴戦の武将は、現在の戦を読むこともお好きでいらっしゃるのですね。」

と、小鳥が囀るように、楽しげに相槌をうった。


しかし、メルビルはそこで話を終わらせるつもりはなかった。


彼は自分の想像力を信じて、次の問いを持ちかけることにした。




「エルゼリオ殿。貴殿は、徽章をお付けにならぬか。」




対してエルゼリオは、急に眉をひそめると、すぐに笑顔に戻って返答した。

「いえ、わが国の戦での功績はありませんので。」

「それは承知している。しかし、私が言っているのは、そのことではない。」


メルビルの射る様な視線に臆さず、エルゼリオは静かに次の言葉を待った。




「『アデーリア勲章およびセルバドール勲章』、といえばお判りか?」




その言葉に、隣で静かに酒を注いでいたフォーンデルが一瞬、
手を止めて反応を示した。
しかし、すぐに酒を注ぐとテーブルに置く。

軽い会釈をしたエルゼリオに、動揺は微塵も見られない。
軽く、目を細めただけだった。


その瞬間、
ほんの一瞬にメルビルは、
何故だか背筋が凍る思いをした。


わからない存在、理解できない人間が、目の前にいるということだったのか。


しかし、その恐怖はすぐに空気に溶けてしまって、
メルビルは目で見ることなく、
身体で「見る」ことも逃してしまったようだった。


当の本人、エルゼリオはというと、軽くため息をついて目をふせたあと、
何故かゆるく微笑んだだけだった。

「その勲章は、隣国ディム・レイの国王が与えるもので、
わが国の人間が持つことは許されない。

そういう勲章でしょう。メルビル殿。」

エルゼリオはそのまま、口を閉ざした。
しかしメルビルは引き下がることをしない。
足を組み、こめかみに指をあててしばらく考えた。



全く老いというものの恐ろしい結果は、こういうときに柔軟な考え方ができないことである。


すると、メルビルの横に控えていたフォーンデルがふと、
口を開いた。

「・・・貴方はつい最近、当地から伯爵領を貰っている。違いますか?」

すると、突然の介入者にエルゼリオは、
少し面白そうに微笑んだ。

「伯爵領は伯母のものです。私には、小さいころから目をかけてくれておりましたので。
よくご存知でいらっしゃいますね。フォーンデル殿。」

今度はフォーンデルが奇妙な顔をする番だった。

「殿は、結構です。執事に敬語を?」

「まあ、時たま。ただ、必要が無いならば言わなくてもいい。
そちらも私に使わないというのなら。」

その言葉に、再びフォーンデルは妙に顔をしかめることになった。
フォーンデルは貴族ではない。むしろ孤児なため、身分は無い。
執事という立場もまた然り、貴族を呼び捨てにできるほどの身分は無いのである。

それを同様の立場として求めるなど、貴族達にしてみれば、狂気の沙汰である。
・・・随分と変わり者だ。
と、フォーンデルは心の奥でつぶやいていた。

「いえ・・・それは・・・。・・・申し訳ない、話を戻しますが?」

エルゼリオの提案に、いささか妙な気恥ずかしさを覚え、
フォーンデルはメルビルにも、丁寧に了解の意を述べようとしたが、
老人は手でそれを制し、了解を示した。

「どうぞ。」
と楽しそうにエルゼリオも微笑む。

思わず口を挟んだフォーンデルは、もともと話好きではなかったものの、
後には引けず、しかめた顔のまま話を続けることとなった。


「貴方は最近、といっても五年前にディム・レイのユーティ女公爵・・・
つまり貴方の伯母上のところへ行かれましたね。
それから、五年間、貴方はディム・レイで過ごしておられる。」

それを受けて、エルゼリオは答えた。

「たしかに。父は作法などに全く興味は無いのですが、
この伯母は曲者でして。みっちり、他国の作法まで仕込まれました。
まあ、そのほか色々と教育されましたしね。」

「では、伯母上の領地が国王からの恩赦によって
近年急激に拡大したのは、何故だという・・・。」

二の足を踏んでいるフォーンデルは、重要な点を言及したつもりだった。

急激に土地が増えるということは、よほどの功績を挙げない限りは
見られないことである。
その功績。たとえば、



「戦での功績」



である可能性も有る。


しかし、エルゼリオは特に反応もせず少し微笑みながら応対した。

「私の領地にも言えることですが、メルビル殿。

我が領地を支えているのは、勿論農作地でもありますが、
東に位置する海の資源と北を占める山脈の資源からなります。

叔母の領地も、我が父の領地にも同様に
リル海峡での漁業生産量が土地を潤している、とも言えますが
隣国にありながら海と、海を挟んだロアーダとの交易が絶えないのも事実。

先日にも、エンドレイ城にて我が領地での交易状況の旨を説明したのですが、
詳しくは、メルビル殿にお聞きください。」

「・・・それで伯母上は領地の交易の利益によって、国を潤したため
ディム・レイ国王から、感謝として領地を頂いたのだと?」

「まあ、そんなところです。
これ以上話すつもりはありませんよ。フォーンデル殿。
隣国とはいえ、いつどう時勢が転んで敵になるともかぎりませんし。
伯母や父の身が危うくなるようなことは、ね。」



エルゼリオは、ゆっくりと目の前に置かれていたグラスをつかみ、
中の液体を口に含んだ。
その様子は、どこかの貴族がいつも同じようにして飲んでいる仕草と、
ほぼ変わりない。
少し違うといえば、少年が遊びつかれてふと水を口に運ぶように、
嬉しそうな雰囲気が見られるということだった。

メルビルは、再び微かに唸った。

もともと、彼に揺さぶりをかけたのは、自らのカンを信じているためだったが、
どうやら尻尾をつかめそうにも無い。

隣で直立しながら控えていたフォーンデルもまた、
静かにエルゼリオという妙な存在に視線を注いでいるだけだった。
だが、もしフォーンデルの心を読めるものがいたならば、
彼の中の闘争心、目の前にいる者に打ち勝ちたいという暴力的な猛りを覗き、
おののいただろう。

エルゼリオは、そんな彼らを眺めながら微かに微笑んだだけだった。
そして、

「・・・お二人は、ご家族ではないようだが、大変に同じでいらっしゃる。」

と、楽しそうに笑った。
怪訝な顔をして、互いを見合うメルビルとフォーンデルは、
眉をひそめてエルゼリオに視線を向ける。

突然何を言い出すかと思えば、若い執事と老いた主人の関係についてであった。


「そして大変な詮索好きですね。失礼かもしれないが、瞳が語っているようです。

近年の隣国が起こした北方戦の勝利に関することは、どこでも噂が絶えませんが、
まさか屈強で沈黙を重んじるメルビル城でも同様とは・・・。

いささか・・・いや、かなり私が考えていたイメージと違う。
そのようにむきになって尋ねるなど、初めて受けた歓迎です。」


急に噴出して笑い出すエルゼリオに、再びメルビルとその執事は顔を見合わせた。

「失礼」と口にした後で、この謎めいた若い男は、
深淵を嬉々として覗き込むような笑みを見せる。

全く、何を見透かされているのかわからない。

そんな、奇妙に清々しい新緑の瞳で。




だから、どうしようもなくぞっとするのだ。




エルゼリオはそのあと、暫く二人を観察するように眺めると、
急に少年のように微笑んで、二人を酷く困惑させた。


「そうですね、いささか予定とは違ったが、
そんなものは意味が無いも同然ですから、
お話しましょうか。私の「友人」についてですが・・・ご理解いただければ。」

極めて「友人」を強調し、
話を持ちかけたエルゼリオに、メルビルは真意を読み取ると、
了解するように深くうなずいた。

その後、口の端をちょっと挙げておどけたような顔をして見せた青年は、
どこか遠く、時間を遡るくらいの場所を眺めるように、窓の外に視線を向けた。

夕日が永遠の輝きを誇って、大地を隅々まで赤く照らしている。

その刹那の輝きの向こうの出来事を、
目の前の凛々しい若者は、これから語るようにも見えた。





へつづく

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