「収穫祭の夜に」前編







「お兄さんっ!あたしとおどらなあい?」




今にも折れそうな細い足を、今にも折れそうなピンヒールでささえて、

真っ赤な口紅のほろ酔い女は細い腕で、

ふらふらとビールジョッキを差し出した。

眼の下には、かすかにクマが見える。





踊りたいのか、飲ませたいのか。





キラキラ光る安物の髪飾りは真っ赤なスパンコールに彩られ、

真っ赤なドレスも妖艶な腿が見える仕組みだ。

細い体に反し、豊満な胸にきらびやかな黒真珠のネックレス。

年齢は30代後半だろう。





もう何人の女性に声をかけられたことか。



自分が統治する貴族の領地内の町の一つであり、

少しばかり洒落た商人が商いをしている街の

ちょっとばかり裕福なダンスホールに、

エルゼリオはいた。





本来貴族ならば、農民が集うような場所には行かない。

しかし、エルゼリオは他の貴族とは多少趣や生活環境が違ったため、

別段嫌という気も起こらず、自然に街へ行く。


それが子供のころは普通だった。


勿論、自分の領地が『育つ』のを見ているのは楽しいし、

街を歩いて、「この場所は整備したほうがいいだろうか」、だとか

貧しい人がいたら、仕事先を斡旋してやることもできる。

農地を歩いて収穫を見るのは、幼い頃の彼の日課でもあったが、

彼の召使い兼若い乳母のためでもあった。



フェイティシア。





実は、彼は今お忍びで、このダンスホールにまぎれている。




夕方近くになり、

突然フェイティシアがいなくなったので、召使い達に聞いたところ

珍しく農地以外へ赴いたとのことだった。



どうやら今年は、収穫が思いのほかよかったため、

本来農地で祭りをしている耕作人たちは、

祭りの前に街で一騒ぎしようと祭りを開いたところへ、

呼ばれたということだった。

フェイティシアはもともと領地を管理する仕事も任せられていたため、

耕作人達とはおそらく、毎年毎月一週間に三回は顔をあわせる。

祭りに呼ばれて当然ともいえる。



…俺も呼んでくれれば…。



と、彼は一度たりとも考えたことはない。

勿論行くならば、自分で出向く。

誘うのは、彼女ではなく領主である彼だ。

そもそも、街自体が彼の持ち物なのだから。




壁によりかかり、ただ黙りこくっていると、

隣で彼にまとわりつく派手な女に「愛想悪いわね」とつぶやかれた。




勿論、召使いが主人を祭りに呼ぶことは、

当然一にも二にもありえない。

だが、突然いなくなるなんて、

いつも何かしら報告を律儀にする彼女にしてみれば、

ずいぶんと思い切った行動をとったものだと、

彼は思った。




考えれば耕作人達と自分と、

どちらが長くそばにいるとは言い切れないが、

比べれば顔をあわせる機会は、だいたい同じかもしれない。



「ねえねえ〜」とじゃれ付く赤い女の背中を撫でながら、

「もう少し酔いがさめたら踊りましょう。」

とエルゼリオはそばの椅子へ腰掛けさせた。

カウンターへ行き、綺麗に積まれたカクテルのグラスを

眺めながら壁にもたれる。






フェイティシアを見失ってはいない。




彼女は今、耕作人たちの妻や娘の集団の中で、

朗らかに会話を弾ませている。

勿論、男たちもその輪に混じっている。

まだ日も暮れない時間だ。

夕日の温かみのある光が、窓から差し込んでいる

まだ、パーティーは始まったばかりで、踊り出しはしないが、

いずれ音楽がかかれば、否応無しに空気には華やかな色がつくだろう。

耕作人達だけでも八十人くらいはいるだろうか。

決して狭くはないダンスホールには、勿論椅子もテーブルもそろえられている。




二階はレストランになっており、下の様子を眺めることもできる。

こじんまりとした演奏者たちは、楽譜を持たない。

即興で、その場の雰囲気に合わせて曲を弾くからだろう。

勿論、耕作人だけではなく、街の商人も酒を飲みに来ている。

娼婦もいるし、怪しい面々もいる。





「田舎モノ風情が・・・。」

と、そばで通り過ぎざまにつぶやいた流れ者らしき男の言葉に、

田舎モノで結構。俺の領地の人間だ。

と思わず一発腹にぶち込んでやろうかと思ったが、

エルゼリオは視線だけで殺すことにした。



周りは浮かれ気分だが、エルゼリオはどうも楽しくなれない。

ひやひやするのだ。

彼女が、他の男たちに囲まれていると。




今、フェイティシアは十メートル向こうで、

彼女が持ってきたバスケットの中から、

彼が好物である彼女手製のサンドイッチを配っている。



ほかの人々も、手持ちの食事を持ってきており、

高い酒だけはこのホールでご馳走になるつもりなのだろう。

そういった行動が、いかにも街の住民から

田舎者と呼ばれるにふさわしい、長閑な風景となっているのだが、

あくまで金を払う客に対しては、

冷静な傍観者でいることを信条とするのが、

少しばかり都会じみて背伸びをしたい商人、

つまりは街の住民の務めでもある。



しかも今年は豊作だ。

エルゼリオにとっても、領地が潤うのはうれしい限りだし、

商人、職人にも喜ばしい日である。

おそらく、今日は素晴らしい祭りの日になるだろう。

サハシュ信仰にある農耕の祭りの日は、


今日と決められたともいえる。

エルゼリオの領地では、祭りは領主が決めるものではなく、

農民たちが決めるのだった。





フェイティシアが持つ、もう一つの袋には、

どうやら耕作人の娘たちにあげるための、

レースの襟つきのかわいらしい服、

そして、今年生まれた子供たちに美しく細かなレースの産着を与えている。




これらは、エルゼリオが時々そっと眼をやると、

彼の部屋の窓辺で、小さな椅子に坐りながら、

時々窓の外を眺め、そして手元に視線を落とし、

ちくちくと縫い、編んでいるアレだろう。



エルゼリオが今胸元に軽く流しているレースも、

かなり昔の彼女の手製作品だったはずだ。

貴族以外でも、多少はこのような装飾具を使用する。

だが、耕作人たちにとっての服のための装飾具は

仕事の邪魔になることもあり、

金があれば次の農地を耕し実をつける穀物を買ってしまう。

勿論、細かな作業は時間がかかったりもするので、

フェイティシアが作ったレースは、

どの身分、階級においても装飾具を愛して止まない、多くの女たちに喜ばれた。




案の定、そのレースを見た商人の一人が、

まぶしそうにフェイティシアを見つめている。


彼女は腕がいい。それは、エルゼリオにも解る。



そして、美しい。




美しいものにもいろいろあるが、

彼女の周りの空気は、不思議とやんわりとして、

透き通っている。

けれどもその空気は、汚らしいものを排除するのではなく、

受け入れてそれぞれ際立たせるような、優しさがある。

柔らかな声が、さらに空気を澄ませ、

いつものホールの空気に、

不思議な色を溶け込ませる。

うっとりとしている人々の空気が伝わる。

眼を覚ましているのに、

どこか眠りに誘うときのあの強烈な何かが、

漂っているようだった。




何故、そのようなすべての素敵なものを、

やすやすと誰かの目の前にさらすのだろう。




彼は、今ばかりは耕作人たちとフェイティシアの繋がりを恨んだ。

おそらく、それが耕作人たちでなくとも、

彼は恨んだだろう。

だが、その恨みすら、彼女の前では

綺麗に流れ去ってしまうのだ。




声をかけてもよかった。





しかし、今彼が出て行って名乗ったりすれば、

農民たちは狼狽するだろうし、おそらく祭りは中断され壊されるだろう。

それがたとえ、「昔はよく耕作地においでくださったエルゼリオ坊ちゃん」

であったとしても、である。





おばの家からこの国へ帰ってきて、エルゼリオはまだ、

農民たちに成長した自分の姿を、見せていなかった。

国都へ仕事で出向いたりして、忙しかったという理由もある。

だから、この場所にいても農民たちに分かりはしないだろう。





しかし、おそらくフェイティシアは狼狽するはずだ。

本来「お忍び」で街に現れるなどということを、

貴族がすればいやおうなしに、妙なうわさが立つ。

特に情報で商売の大半を培っている街の人々には、

格好のゴシップにもなる。

下手をすると、都に流れる。

すると貴族たちの中でも、彼はあまり好ましくない立場になるだろう。





さらに、自分を迎えに来るためにわざわざ出向いてきたというのなら、

フェイティシアは酷い責任を感じるだろう。

素直な彼女は、すぐ態度に出てしまうかもしれない。




どれもこれも、彼が今「無謀な行動」に出ていることを示していて、

思わずエルゼリオは面白くなってしまった。




しかし、気分をいれかえて、

ぼんやりとフェイティシアを見つめながら、

自分は目立たぬように、彼女の様子を観察することにする。





服を渡した彼女は、思わぬプレゼントを受け取っていた。

何か、リボンで飾られた大きな袋だ。

この箱は、農地の娘たちにも贈られていた。





そして、ばたばたと彼女たちは楽しげに別室へと移っていく。




青年たちは妙にそわそわし始めている。

いい年をした男女は、酒が入ってほろ酔いになり始めている。

ささやかな音楽が流れ出し、いつも皆が感じているホールの空気が

戻ってきたようだった。




軽やかなダンス音楽が流れ始めた。





と、突然別室からあふれ出すように、娘たちが出てきた。


多少都会の服よりは見劣りするとはいえ、

可愛らしいドレスに身を包み、


誰彼も満足げで、恥ずかしさを紛らわすように

微笑を浮かべて互いに何かを話している。






そして、ある娘たちは一人の美女の手を引いて出てきた。


酷く恥ずかしそうに、顔を赤らめた彼女は、

彼の知っている召使いだ。


わっと、場内の空気が華やかになる。

ぴりぴりとしていた空気が、一挙に開放されて

どこか高い場所に移動したようだった。

熱気を帯びて、男たちの視線は当然、彼女たちに向けられた。

あるいは、エルゼリオの知っている「その人」へ、である。

彼は視線をしばらく離せなくなり、

同時に周りの眼も気にした。



みぞおちのあたりに、鈍い重みを感じる。




それは、大切なものを持っていかれそうな、

無理やり手放させられそうな、

そんな危機感に似ていた。





ダンスが始まると、当然フェイティシアは娘たちに引っ張られ、

軽快なステップを集団で踏みながら、

次々と踊る相手を変えていく渦へと巻き込まれた。





貴族にも時たまこういったダンスがあるが、

地方貴族のダンスパーティーに限られる。

ダンスにも当然流行があり、国都では二人一組で踊るのが主流だ。




「…すんごい美人さんがいるわあ。」




と、例の酔っ払い女は楽しげに酒を飲んで、彼の横に来た。

「貴方、さっきっからあのひとに釘付けねえ。あはは。

お知り合いなのかしらあ〜?」

「いいえ。」




エルゼリオは、つい自分の視線の先と心を指摘され、

酔いどれ女に視線だけ向けた。

「だめだめ。眼だけ私に向けたって。

体は彼女のほう、向いてるじゃないの。素直に白状したらいいのよ〜。

まあ、知ったところでどうになるわけじゃないけどさ。」

ぐいっとウイスキーを一飲みして、女は、

恍惚とした瞳で、フェイティシアを見つめていた。





「あのひと、それなりの教育っていうか、そういうのあるわね。

もしかしたら、そうね。結構貴族でも通用しそうな踊り方するわ。

何か、品があるのよね。ステップから、指の先、髪の毛の先まで。

ああ!見て見て!!あんなに首が白くって綺麗!

触りたいわあ〜。」




同感。

と女の言葉に、聞き耳を立てていた男たちは、


無言で頷く。




エルゼリオはただ、黙って感想を聞いているだけだ。

かすかに怒りに似たものが、彼の体からこぼれている。




「あら、失礼。言いふらして注目集めさせちゃった。あはは。」

と、いたづらっぽくエルゼリオの肩を叩く女は、

彼の怒りに気づいていた。



「そんなに心配なら、一緒に踊りなさいな。

それとも何?眺めているのがお好き?」




あきらめに似た音で、女は声を響かせる。

隣の男は、しかし、

「いえ。けれど今は…。」

とつぶやいた。




その後しばらく、彼は無言だった。


彼女のもつ空気は、踊りに興じる人々を優しく撫でていく。

細くて繊細な指が、相手の指に触れ、

互いの手のひらが合わさり、同じ動きの流れに身を任せ、

ピアノの旋律でできた道の上を、

ただ等しいリズムで歩を刻んでいく。


安いが、しかし綺麗に磨かれたタイルに、

もう一つの世界がさも息づいているかのように、

彼らのダンスが映っている。




夜を照らすシャンデリアの火は、

黄金色に燃えている。



彼女の長く豊かな髪の、一本一本が、

誰かを惑わせからめとる様な、繊細な輝きを見せる。

大理石というよりは、春の雪のような白い肌と、

細い首の柔らかさを、彼だけが知っている。

細い指と、桜色の爪先に触れられる感覚を、

彼だけが知っている。


ダンスホールには、都会の洗練された装飾も、

豊かで豪華な過度のドレスも、食べ物もない。



しかし、この場にしかない恍惚感がある。




上等じゃないか。






エルゼリオは、再び無言で酒を口に含んだ。

その味も、彼女を目の前にしては程遠い魅惑だった。











一曲目のダンスが終わると、彼女は椅子に腰掛けていた。

単純に疲れたからではなく、少し人疲れしたわけでもない。





いいのだろうか。





という不安だった。

そもそも、彼女の立場はいつも「楽しむ人々の補佐」である召使いであり、

眺めることはあっても、行動して楽しむことはなかったのである。


3年間、エルゼリオのいない時期にも、彼女はこういった祭りに誘われた。

だが、いつも彼女は断ってきた。

召使いが、主人のいない間に楽しむというのも、

どこか気が引ける行為だと思っていたからだ。





隣国ではその三年間、戦争が続いていた。






その国に、エルゼリオが向かったというだけでも

彼の身に何かただならぬ危機を感じるのに、

どうして自分だけ祭りに興じられるだろう。


ずっと不安だった。



しかしもし仮に、その戦争に彼が巻き込まれていなかったとしても、

おそらくフェイティシアは祭りには参加しなかっただろう。

彼女は召使いなのだ。



肩が開いた服を着て、心もとなく感じた彼女は、

少しだけうつむいた。

頬が紅潮しているのを感じる。周りの視線も気になる。




「あらあら、もうダンスはおやめになるの?

それともお誘いをまっていらっしゃるの?フェイティシアさま。」

と、耕作人の奥方の一人が声をかけた。

声のかけ方も豪快な大声で、開き直ったような清々しさが、

かえって魅力的な女性だ。




「…いいえ。でも、なれないのかもしれません。」

「あら、ダンスホールはお嫌い?」

「いいえ。でも、見ているのがすきなんです。」

「まあ。よくありませんね。こういうときには、もっと動いて、

ぱあーっと発散させないと。あたしなんざ、あのボンクラ亭主に、

一発食らわしてやるのをこらえて、ここで飲んでるんだから。

ほら、聞きましたでしょ?亭主がこの前賭博ですっちまった話。

まあ、酔った頃合いを見計らって、やってやらないこともないですけど。」

「コラッ!フェイティシアさまにそんなこと言いふらすんでねえっ!」

「なにさ馬鹿亭主!美人に醜態さらして、

ちっとは反省しやがれ!」




勝気な彼女は、右腕を見せてきゅっと曲げて、

鍬で培った筋肉を、左手で叩いて見せた。




やる気である。




どっと農民たちが笑い、微笑むフェイティシアは、

「まあ、奥様。」とつぶやき、

それを聞いた臨戦態勢まんまんの婦人の目を輝かせ、

「奥様なんて呼んでくださるのは、フェイティシアさまだけですよ。」

などと農民育ちの彼女を嬉しがらせた。




フェイティシアがダンスをしたのは、かなり昔になる。




教えてくれたのは、叔父のロイドだったが、

叔父と叔母が踊るのを見て、

それを見よう見まねで一人で踊った。




夜の、館の中だった。





一人で、青く濃い暗闇の中を縫うように、ステップを踏んだ。

相手はいないけれど、彼女の心の中にはいた。

けれど、それは誰と決まってはいなかった。





しばらくして、幼いエルゼリオが「ダンスをやる!」

などと言い出して、彼女は時々相手になった。

彼の背は彼女の首のあたりで、彼女は腰を曲げて踊るしかなく、

終始笑みをこぼさずにはいられなかった。

「フェイティシアが小さくなればいいんだよ!」

と暴言を吐く幼い領主に、同じくまだ幼さが残る彼女は

「そうですね。」とあいづちをうった。


足取りは二人ともおぼつかなかった。




必死に足を踏まないように、互いのステップを見つめていた。

はたから見たら、決して美しい踊りとはいえないだろう。

両方ともうつむいて、足だけを視線で追っていたのだから。




思い出して、フェイティシアが微笑む。

笑顔が、咲き零れる花のようで、

踊らない彼女の気分を気にしていた耕作人達は、少し胸をなでおろした。




「でも、こんなところで座ってちゃ、危ないですよ。

男共が狙っているし、ほら、やってきた。」

「一曲お願い、し、します!」

と、酷く若い青年が申し出る。

すると、それを合図に一挙に「俺も俺も」と群がってきた。

どうやら、頃合いを見計らっていたらしい。




フェイティシアは申し分ない笑顔で答え、

手をとって踊り始めた。

二人一組となって踊る音楽へと変わった今、

彼女は断る理由もなく、ただ川に身を流れさせるように踊りへと興じる。












そのあと、フェイティシアは一体幾人の人間と踊ったのか。


集団での舞踏は、相手をくるくる変えることになるので、

正確に何人とは言い切れない。

女性とも踊るし、子供とも踊る。

男性とも、老人とも踊る。

商人とも踊れば、旅人とも踊る。


たまたまダンスホールに居合わせた、

都の軍から休暇をもらって帰ってきた青年達は、

フェイティシアと踊れたというだけで歓声を上げ、

盛り上がることこの上ない。

村の美少女達も加わって、華やかに騒がしい。


かたや、領地の港から来た流れ者で、

いかにも過激な人生を送ってきたような男が

フェイティシアをワルツに誘ったときには、

いつの間にか出来ている彼女のファンクラブ会員が、

割れんばかりの悲鳴と警告を発し、

フェイティシアはそれをなだめなければならなかった。

男はワルツの間何かを彼女の耳元で囁き、

エルゼリオほか数名の男達は、

手に持っていたグラスに、軽くヒビを入れてしまったりした。




とはいえ、フェイティシアは誰にでもほぼ等しく対応をし、

商人からのレース職人としての誘いに耳を傾けたり、

その技術を見に工場へ来ないかと誘われるのを、

今後の予定も考え、領主であるエルゼリオの了承をいただいたら・・・

と、いつものように対応していた。



極めて召使いとしての一定の対応、である。


その後、何人かと踊り、場内もかなりの盛り上がりを見せた頃、

フェイティシアは少し間を取って、休憩室の窓辺にいた。

薄桃色のドレスは、室内の黄みを帯びた暖かな照明に照らされ、

夜の闇もあいまって、素晴らしく幻想的だ。


雨の降ったあとの

潤んだ闇にやんわりと浮かぶ、花のようでもある。


そっと、踊りに加われない耕作人の子供たちが、

ドアの隙間からその様子を眺めていた。

「きれいねえ」「おひめさまみたい」

とのささやきに加え、

「フェイティシアさま、好きなひとをおもってるのよ」

という爆弾発言が飛び出し、少年のひとりは

「うそだい!」と全否定する。

皆少しもめてから、結局「おもってても嘘にしてしまおう」

ということにした。


フェイティシアが誰かをすきだったら、

自分たちに会う時間が減って

ちょっとだけ寂しくなりそうだからだ。




フェイティシアはそうとは知らず、

窓の外の闇を見つめてたたずんでいる。

月がきれいなので、ただぼんやりと見つめていると

夜風が程よく彼女の熱を冷ました。

部屋には、数人の娘たちがいたが、やがて部屋から出て行くのを

背中ごしに感じたが、

彼女はまだ、静かに余韻に浸っていた。





楽しかった。





久々に、日々とは違った動きをしたからかもしれない。

そして、昔から少しずつ練習してきたダンスを

踊る機会ができたことが、嬉しかった。




誰もいなくなった部屋で、彼女は一人静かに微笑んだ。

これからいっそう盛り上がり始めると、

耕作人たちはおそらく祭りを始めるだろう。

農地を練り歩き、踊り、歌い、

自然からのすべての恵みに感謝する。





そのころまでには、館に帰らなければならない。

何より、エルゼリオが何か言及してくれば、

確認も取らずに出て行った彼女に非がある。

勿論、叔父であり執事のロイドにも、

きちんと謝らねばならない。


自分の、早急に決断し失敗した愚かな行動に、

ため息がふと漏れた。





その様子は、ドアごしの少年少女たちには重大事件だった。


衝撃が走る。

「どうされたのかしら」「やっぱり好きなひとがいるのかしら」

「違う違う。今日のご飯は何かで悩んでるんだよ」

「領主様のご飯でなやんでるの?」

「そうだよ。きっと美味しいんだろうなあ。」

本来の衝撃が、いとも簡単に違う話題に摩り替わっていく。

そのさまを、一人の男が廊下にたたずんで聞いていた。

思わず含み笑いである。

すると、子供たちはいぶかしげに男を見つめた。




新たな敵現る。再び衝撃が走る。





子供たちから見るに、その男はいかにも「大人」で、

そう判別したのは、彼らが親から

「飲むんじゃないよ。子供には毒だから」

といわれている、例の飲み物を片手に持っているからである。


そして、背が高い。

きちんとした服を着ている。

綺麗な顔をしている。勿論、顔以外じゃなくても、

雰囲気が綺麗である。


そして何より、フェイティシアに似た不思議な雰囲気がある。

ほかにもいろいろあるが、あまり深くは考えないことにしている。


そのようなあたりである。





「フェイティシアは料理専門の召使いじゃないぞ。少年。」




男の言葉に、再び子供たちに衝撃が走る。


「専門?」「せんもんて何?」「馬鹿。それだけってことだよ。」

「違うわよ。しっかりその仕事を任されてるってことよ。」

「じゃあ、フェイティシアさまはお料理しないの?」

「料理できない女は最悪だって、親父が言ってたぜ。」

「じゃあ、フェイティシアさまは最悪なの?」



その一言で、子供たちは一瞬呆然として

そのあと眼にいっぱい涙をためた。

何かが裏切られた気がしたのだ。




「フェイティシアさまは、お料理できなくても素敵だもん。」

「フェイティシアさま、時々お料理してくれるよ。」

「俺たべたことねえ。」「だってそのとき、あんたいなかったじゃない。」

「ぼくも食べたことないよ。」「学校いってたからかなあ。」

「あーやだな学校。」「やめなさいよ。大事だっておかあさん言ってたわよ。」

「なんでえ。まじめぶりやがって。」「だって、言ってたもん。」



そして、皆がため息をつくと、男は面白くなった。





「一つ間違ってるぞ。」

と、男は眉間にしわを寄せた子供たちのそばにしゃがんで、

微笑んだ。

「フェイティシアは料理もできる。

フェイティシアが作って今日ここにもってきたサンドイッチ、

食べたか?」





ううん、と皆が首を振る。

男は皆が同じように首を振るのを、楽しげに眺めてから、

不思議そうに首をひねった。




「そうか。きっと凄くうまいから、大人だけで食べようって決めたんだな。

お前たちには食べさせないつもりなのかもしれないぞ。」





「えーっ。」

と叫び声があがる。

「食べたいー。」「どこにあるのかな。」「探しに行こうか」

「もうなくなってたらどうしよう。」「お前んちの母ちゃん、くいしんぼだろ?」

「そうだな。」「すぐなくなっちゃうよ。」

「いこういこう。」





そして、「おじさんありがとー」との挨拶に、

「お兄さん」のほうがいいんだが・・・とふとおもいながら手を振る男は、

待合室へと足を踏み入れた。

暫くは、誰もここには来ないだろう。















「もう踊らない?フェイティシア。」




と、突然聞き覚えのある声がした。





聞き覚えのある声、などというものではない。


知った声だった。



随分昔とは変わってしまった、高い軽やかな少年の声ではなく、

低くそっと心の隙間に入り込むような声だ。

体のなかをざわめかせる声。

知らないうちに、震えてしまう声。



そっと、体をねじって振り返る。

すぐ目の前に、男性用のレース飾りが映った。

そのレースは、彼女が昔作ったものだ。





顔を上げて、「まさか」と思う相手を確認する前に、

目の前の彼は彼女の首に顔をうずめていた。





唇が首になめらかに触れていく。

微かな圧迫。

突然迫ってきた香り。

互いの胸を押し付けあうほど近くに迫って、

服の下の鼓動だとか、硬く引き締まった筋肉だとか、

やわらかな感触だとか、そういったものが、

うっとりと溶け合い絡み合った。





「あ…あの!」

「こんな無防備な格好もするんだ。」





と、一瞬の無機質な声に彼女は改めて驚いた。

ぞくりと不安が背中を撫でる。

彼女は、うつむいて震えそうになる体を制し、身を硬くした。

召使いであるならば、当然主人に許可を貰うべきだったと後悔した。





いや、むしろ出なければよかったのだ。

毎年そうしてきたように。





ひとしきり彼女の滑らかな首筋の感触を楽しんでから、

さっきの声を出した主とは到底考えられないような

いたずらっぽそうな笑顔で、

エルゼリオは彼女と顔をあわせた。




互いの鼻先が触れそうなほど近い。





思わず身を引いて、

彼女はすぐ後ろが窓枠だということに気づいた。

「ほら、危ないよ、フェイティシア。」

と、彼女の腰に右手を回す彼は、

ぐいと引き寄せると

フェイティシアの右手を左手の指で追った。



しかし彼女は、触れたとたん、熱いものに触れた子供のように、

小さく手をひっこめる。

さらに互いの距離は近くなっているのに、

その手の細い指は、あくまでエルゼリオから逃れようとしていた。

思わず真摯な顔で、その指を捕らえようとしてしまうエルゼリオは、

フェイティシアに無言の同意を求めようとした。




しかし、唯一彼女の意思が語られるであろう、

視線もそらされる。

そして、俯いてしまった。

仕方がなくエルゼリオは、指を追うのをあきらめた。

一瞬指先に触れたその感触だけが、

火をちいさく灯したように、エルゼリオの体を熱っぽくしていた。





彼が領地に帰ってきてから、

そして彼が自分の思いを彼女に告白してから、

一向にうつむいて表情を見せなくなったフェイティシアを、

彼はため息をついて眺めた。




もう彼女の、この綺麗な前髪や、つむじを眺めるのは飽きた。





「なんで何も言わずに行っちゃうかな。

ダンスパーティー俺も行きたかったのに。」


子供っぽく口を尖らせて、エルゼリオはむすっと

不満げな顔をしてみせる。

勿論「行きたかった」なんて、考えてもいない。




「…あ、す、すみません。急なこと…に、なって。」

「いいよ。もうフェイティシアは、俺のこと

全然考えてもいないんだってわかったし。」

「そ、そんなこと…!」





案の定酷く否定して、顔を上げて見つめ返した彼女に、

「そう?」

と、彼は満足そうに微笑んで再び見つめ返した。




酷く優しい笑顔。

困惑すると同時に、魅入られそうになるフェイティシアは、

彼の瞳の色の心地よさに、

何か大切なものを見失いそうになる。




召使いであるという現実。





だが、そんな理性も

互いの視線が、恍惚と絡み合うと溶けてしまう。

決して、体すべてを触れてはいないのに、

空気は互いの体温や、すべての何かを心地よく通わせた。

エルゼリオが少し近づこうとすると、

フェイティシアは過敏に反応せずにはいられないのだが、

互いの吐息、香り、温かさ、

すべてを受け入れようとしている自分がいる。





そんな自分に、ひきづられて、負けてしまいそうになる。

唇が触れ合うようで触れ合わない、ぎりぎりの快楽。

エルゼリオの声が、吐息を多く含んだ言葉を囁いても、

おそらくこの部屋のこの場所、

この耳でしか聞こえないだろう距離。





エルゼリオはゆっくりと、彼女の耳元で囁いた。





「本当に?少しでも考えてた?

フェイティシアが楽しく踊っているときでも?」




そう囁いて、すぐ彼女の表情を読み取ると、

ちょっと困った表情で、長いまつげを伏せる。

エルゼリオは悲しそうに

「ほら!やっぱり。」

とつぶやき、それを否定するように彼女は再び見つめ返した。





強い意志が、あった。





しかしその茶色の瞳の奥に、微かな寂しさが見えた。





「いつでも、考えていました。

エルゼリオさまが…隣国へ行かれている間も…。」




彼女の言葉は、その瞳が示すように真摯で、

うそ偽りのないことを表していた。

それと同時に、酷く頼りなげな光も見える。

震える足が今にも挫かれて、

よろめき倒れる寸前のような、不安。




だからこそ、エルゼリオはこうして、

彼女を支えれずにはいられない。






そばにいて、いつでも手を差し伸べていられる場所に

居らずにはいられないのだ。





そして、だからこそ、彼はその言葉を、これまで彼に贈られた

どんな物よりも素晴らしいと感じた。





彼女が欲しい。





フェイティシアは、笑顔から急に静かな表情へ変わった彼を、

呆然と見つめた。

そこに彼が持っていた幼さはない。

じゃれ付くような、愛嬌もない。

ただ、召使いであっても愛していると、彼が告白した

あのときのような危機感と混乱。




「フェイティシア。」

「…帰ります。」





と、再び顔を背けて頬を染めたフェイティシアに、

エルゼリオは黙った。





肩をつかんで、引き寄せてなくても

怯えたり、拒否したりしないような、

そんな彼女にいつか、出会うことはできるのだろうか。





今は、到底不可能だ。






急に不満が体の中を駆け巡って、

彼を追い立てた。

彼女の指から灯された美しい火は、

一瞬のうちに業火へと変貌したようだった。





酷いことを言って、困らせたくなってくる。






力強くフェイティシアの細い腰を引き寄せると、

小さな悲鳴が上がった。

それでも、気にしない。




「自分だけ楽むつもりなんだ。

ずるいね。フェイティシアは。」

「…私は…!」

「楽しんでないなんて言わせない。」





エルゼリオは静かに、押し殺した声を放った。

フェイティシアの肩が震える。





「俺も踊ってくる。しばらく待っててよ、フェイティシア。」

「あの…!」

「召使いなら、待てるだろ。」




召使いなら。






そう強調して、エルゼリオは微笑んだ。

フェイティシアは、呆然とただ彼を見つめる。

主人が自分のために「お忍び」で街にやってきたことだけでも、

どうしていいかわからないのに、

踊る?

誰かと、踊る?





フェイティシアの胸が、ふいにきりりと締め付けられた。





不安な表情を見せたフェイティシアに、

追い討ちをかけるようにエルゼリオは

彼女の腰を引き寄せていた手を離した。




突き放されたようによろけるフェイティシアは、

きびすを反すエルゼリオの背を眼にした。





ただ、ついていくしかなかった。




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